【イムラヴァ:二部】二章:鐘の音-10
冷静になって街を歩けば、金床の音や、パン屋の煙突から上がる煙が見える。売り子の声が商店街に響き渡り、通りは客や商売人ででごった返している。広場では、小さな屋台式の劇場で人形劇が上演されていた。幼い目を丸くしてじっと見入る子供や、片頬に嘲笑を含めて笑う大人、観客には事欠かない。それも、演目がゴシップや一大事件を取りざたしたものであればなおさらだ。アランは、あそこなら立ち止まっていても邪魔にはなるまいと思ってそいそとそこへ向かった。結局到着するまでの間に、あちこちぶつかりすぎて身体が痣だらけになってしまった。アラスデアの待つ森に再び帰るまでには、身体の中で青あざが出来ていない場所はなくなってしまうだろう、とアランは思った。
「さあ、大変だ!」人形繰りの男が言った。その訛りには、チグナラに特有の巻き舌が混ざっている。顔を見るまでもない。家を持たずに各地を渡り歩いて仕事をする者は、たいていがチグナラか、その仲間だ。あの男まで、私の顔を見るなりユータルスが危ないと言い出したら、一発ぶん殴ってから急いでこの街を出ようか。
アランは、小さな人だかりから少し距離を置いて、人形劇を見物することにした。舞台は、窓ほどの大きさで、色とりどりに塗られた看板には、『パンジャの人形劇』と描かれていた。小さな鈴をつけた人形が、舞台の上で人形としてできる限り精一杯に慌てふためいている。
「パン屋のジョセフの末の娘、ポールは、兵隊に捕まって牢屋に入れられちまった!女将さんは真っ青になって泡を吹く。旦那はひっくり返って腰をしたたか打つ。雄鳥は夕暮れに時を作り、パンの種はとうとう膨らまなかった!」
アランは小さな子供達につられて笑った。一大ニュースを知らせたと思われる少年が、しきりに手を動かして、震える夫婦に話しかける。
「女将さんに旦那さん。今夜までに十ルクスをわたさなけりゃ、ポールは港に連れて行かれっちまって、それから、奴隷のように死ぬまで働かなきゃならなくなるんだって!」
「いったいどうしてうちの子が、そんな途方もない罰を受けるようなことをしちまったんだろう?」甲高いパンジャの裏声が、再び観客を沸かせた。一方女将さんの声は、どんどん悲壮感を増してゆく。「私のかわいい坊やが、どうして!」
「それが、おばさん。ポールは悪いことなんか何にもしちゃいないんだ。今日はね、市場の出る日だからって、僕ら、小遣いを持って市場を歩いていたんだよ。飴細工でも買おうかって。そこへ、異端審問官がやってきた――」
すると、舞台には、異端審問官の黒いマントから、赤に金糸で刺繍のしてあるブリガンディンまでそっくりまねてある人形が、恐ろしげな顔を小刻みに振るわせながら悠然と入場してきた。
「おい、貴様、その手にもっとるもんは何だ」いかにも悪人らしい声で、審問官が言う。
「小遣いです。旦那。僕ら、今日飴細工を買うために、仕事をして少しずつ貯めたんだ」ポールとおぼしき人形が元気よく答えた。
「何、飴細工だと!いったいどの店で買うつもりだったのかね」ゆっくりと、審問官が首を巡らす。木彫りの顔に、見まがいようのない企みの表情が浮かんだ。
「ナンシーの店ですよ。あすこの飴細工が、一番甘くておいしいんだもの!」ポールの友人も答えた。すると、審問官はわざとらしく驚いて見せた。
「しらんのか?あの店の主人は、今朝逮捕されたのだぞ!悪魔と取引して、とびきり甘い菓子の作り方を聞き出したかどでな!」
「なんですって!」2人の少年は顔を見合わせた。