【イムラヴァ:二部】一章:暗雲と煙-1
第二部
第一章 暗雲と煙
日の光がゆっくりとか細くなってゆく。雨雲に魅入られたこの地方では、一日の内に一度は必ず雨が降る。それ以外の時にも、空はほとんど雲に覆われている。光に祈りを聞き届ける耳があったなら、彼は祈っただろう。まだ行かないでくれと。石造りの地下牢に、ほんの少しだけ許された隙間。そこから光が見えるというのは、奇跡にも等しかった。この獄に隙間がなかったらとっくに気が触れていた。斜光は踊りながら、手枷に戒められた彼の手のひらをすり抜けて、消えていく。
黄金のぬくもり。目を閉じて、その感覚にすがる。とても大事なものだったと思う。とても愛おしい、掛け替えのないものだったのだろうと思う。しかし、それがなんなのか思い出せない。宝?それとも、今は奪われてしまった自由に通じる記憶だろうか?
いや、覚えている限りでは、宝も、自由も、このように心を揺さぶらない。記憶の暗い海、その奥底に沈んだままの「何か」を、思い出そうとする度に、じっと座っていられなくなる。闇雲に手を伸ばして、手がかりが手に触れるまで、気が触れたように歩き回りたくなる。まあ、こんな狭い牢獄の中で歩き回れば、どこかに頭ををぶつけるのがおちだ。
記憶を辿って行き着く最後の思い出の中で、彼はすでに大人になっていた。大人になっていたのに、まるで生まれたての赤ん坊のように感じたものだ。身体が思うように動かず、まるで別の人間の身体を借りているような気分だった。そして、彼は一人きりで、雨に顔を叩かれ、地面に仰向けになって倒れていた。まるで、たった今雲の上から地上に投げ捨てられたかのように。ひどく寒く、ひどく虚しい気分だった。自分の手から、全てがこぼれてしまったような、どうしようもない絶望が頭の中にあった。全てがこぼれ落ちた。左目は傷にふさがれて二度と開かない。自分の名前も記憶も残されてはいない。途方もない喪失感の理由すら。それからマルヴィナに出会い……随分長い時が流れた。
コルデン城で一体何が起こったのかについては、今でもわからない。、力が全く仕えないという驚愕の内に彼はとらえられていた。あの妙な魔法よけが無ければ、あんな若造一人にいいようにあしらわれるわけがない。とにかく、あの城の城主は、わざわざ魔法よけの魔法を城に掛けさせておいたのだ。かなり昔にかけられたものだろうと高をくくっていたのだが、思ったほど昔の魔法でもなかったことに、後から気づいた。気づいた時にはもう手遅れだったが。魔法が死に絶えたこの時代に、そうまでして何を守るつもりだったのか……思い当たるのは2つ。卵か、あの女か、それとも両方か?今となっては、もうどうでもいい。
クリシュナはため息をつく。朝日にきらめいた金の髪。驚きに見開かれた金の瞳。強い光を長い間見ていると、光の痕跡が目に焼き付くことがある。あの女の姿は、それに近かった。瞼を閉じると――失った左目の奥にまでも――その幻影が蘇る。今夜もその夢を見ることになるのだろうと思いながら、目を閉じた。
海に背を向けて連なるカルン・グラス山脈の裾野を覆う黒い森は、トルヘアの島の西にあるがユータルスよりはだいぶ南にある。雨が多く、木肌はいつも湿って黒々としている。山陰に隠れるこの森に太陽の光が差し込むことは滅多にない。そのため、わずかな光を存分に吸収するために、木の葉は一様に濃い色をしていた。地面を覆う苔は柔らかく、その上に降り積もった赤や茶、黄色の色とりどりの落葉が、苔の緑と対照をなしていた。