【イムラヴァ:二部】一章:暗雲と煙-5
「うわっ!」アランはよろけて、老婆と顔をつきあわせることになった。信じられないような思いで、その占い師の顔を見つめる。六十歳を過ぎていても不思議ではない外見をしているのに、今の力はほとんどアランと変わらない。一帯何処にこんな力が眠っているのだろうか?
濃く甘い香りが、雲のように老婆の周りに漂っていた。老婆はアランの手にぶっとつばを吐き、ごしごしとぬぐった。
「勘弁してくれ……」アランの弱々しい悲鳴を無視し、老婆は指で手のひらの皺を探った。
「あんた……ルウェレンと言ったねえ?」
「え、うん。そうだよ」またしてもアランは驚かされた。名字まで名乗った覚えはなかったのだが……。すると、老婆は鼻で深いため息をつき、再び手の相を探る作業に戻った。一体手の皺なんかで何がわかるというのか?何日風呂に入ってないかとか?そろそろ自分の手のひらの上を這い回る指から逃れたくなってきた頃、老婆が言った。
「あんたが、ルウェレンなんだね」
「そうだってば、ねえ、もう行かなきゃ」アランはそう言って、ほとんど無理矢理老婆の手をふりほどいた。腰に身につけていた革袋にその手を突っ込むと、鹿の角から作ったへたくそな犬の人形を渡した。グリーアやハーディの真似をして作ってみたものだが、どうにも向いていなかった。2人には、犬ではなくて犬の糞を作ったのだろうと言われた。
「これ、お孫さんに。じゃあもう行きますから。どうも」はたして鹿の角で作った犬の糞を彼女の孫が喜ぶのかはわからないが。
ほとんど駆け出しそうになるのをこらえながら、アランは仲間のところに戻った。そして、手のひらを何度も、腿のあたりで擦って拭いた。何とも言えない気味の悪さを、腹のあたりに抱えたまま。
「食べられそうになったの、アラン?」後から、アラスデアが聞いた。「今にも食らいつきそうだったね、あのお婆さん」巨大な獣は気味悪そうに、首筋の毛を逆立てた。
「南のほうは、今はどんな様子なんです?」火と食べ物を囲んで、真っ先に交わされる話題は外の世界の情勢だ。クラナド達はスミス一家の仕事に満足し、スミス一家も、今回得た報酬ともてなしに満足していた。
「南には大きな港があるって話だけど」アランは目を輝かせて聞いた。森の中で生まれ育った彼女は、海とそれに関係するものに並々ならぬ興味を抱いている。
「ああ、カルディフの港は通ってきたよ」アランと年の近い、一家の長男が言った。「港には、トルヘアの船がずらっと並んでいた。商船やら、兵隊の船やらさ。ね、父さん。兵隊が沢山いたよね」
「海賊の話は聞かなかった?」アランは自分の手元にある夕飯が冷めるのも気にせずに質問を続けた。注目されるのが嬉しいのか、同じ年頃の少年と会話が出来て嬉しいのか、彼も快く質問に答えた。
「もちろん聞いたよ。だって、その海賊を捕まえるために兵隊がいたんだもの。僕らが町に着いた時、ちょうど一隻の船が入港するところだった。でも、帆からなにからボロボロになってて。積み荷も全部取られたって、大騒ぎになってたよ!」
アランは口笛を吹いた。ハーディも隣でぱたぱたと尻尾を振りながら話に聞き入っていた。
「それでね、船の旗がすげ替えられてたんだ……女の人が骸骨を持ってる絵だった」
話を聞いていた誰もが身震いした。ただし、アランが感じたのは恐怖から来る震えではなく、興奮から来るものだった。女と骸骨のマーク。紛れもなく、ヘルレキヌスの船団の紋章だ。
アランはもう一つ、期待はせずに聞いてみた。クリシュナという盗賊の話を聞いていないかと。