昏い森-1
それは、寒い寒い季節だった。
冷たく降り積もった真っ白な雪の上に、鮮やかな椿の花弁が落ちていて、その色の対比が暁の目を打つ。
冬枯れのもの寂しい景色の中で、そこだけ別世界のようだった。
あまりにも、その色の鮮やかさが強烈で、だから暁はその日、祖母と交わした話をよく覚えている。
―お前は、これから沢山の妖に好かれるだろう。
だが、忘れてはいけない。
お前は、奴等の贄なのだ。
決してお前を愛して近寄ってくるのではない。
奴等はお前を喰らうために来るのさ。
そのことを、忘れてはいけないよ。
北風が強く吹いて、祖母の豊かな黒髪をさらさらと靡かせる。
祖母は少女のように美しいままだった。
石榴のように赤い唇を持ち上げて、でも哀しそうに眉を歪め、暁の頭を優しく撫でた。
それが、暁がみた祖母・黄昏の最後だった。
*
また、凍るような季節が巡ってきた。
暁は今日、16歳の誕生日を迎える。
暁が最も恐れてきた日だ。
「暁、早くしろよ」
ぼんやりと窓の向こうの降りしきる雪を眺めていたら、暗夜の鋭い声が暁を捉えた。
振り返ると、座敷の卓には載り切れないほどの料理が湯気を立てていた。
鯛の蒸し焼きに、暁の好物である金色に輝く卵焼き。この季節にはめったに食べることのできない貝と青菜の汁物や稀少な茸を炭火で焼いたものまである。
卓につくと、暗夜はそっけなく促した。
「食べろよ。冷めちまう」
暁は戴きますと小声で言うと、箸を取った。
向かいに座る暗夜を時折、そっと見つめるけれど、特に普段と変わった様子はない。
でも、このご馳走は暁の16歳の祝いの膳というのは明らかだった。
暁はなかなか箸が進まなかった。
こんなに特別な日なのに、やはり暗夜はいつも通り、言葉少なに粛々と箸を動かしている。
暗夜は妖だ。
身寄りのない暁の守りを今日までしてくれた。
名の通り、真っ黒な犬だ。
ただし、暁の傍にいるときは漆黒の髪と瞳の青年が彼の常の姿だった。
16歳を迎えた、暁は妖の贄となる―。
小刻みに手が震えて、とうとう暁は箸を置いた。
暗夜がちらりと目を向ける。
暗夜は静かに暁の傍に寄った。
闇のように真っ黒な瞳が暁に近づいてくる。
暁は驚いて、身動きもできなかった。
暗夜の黒く深い瞳に、自分が映っているのがみえる。
暁の唇の端に載っていた食べ残しを暗夜が舐めとった。