【イムラヴァ:一部】十一章:The Point of No Return.-5
「いきますよ。しっかり抑えて」
アランはボーデンと山猫のクラナドにうなずいて、血でぬらつく矢を一気に引き抜いた。ロイドは小さくうめいたが、それ以上は声を出さなかった。一気に血が噴き出す。アランは傷口の周りを押さえつけてわざと血を流させてから、急いで酒を足にかけた。匂いからして思ったほど強い酒ではない……何とか効くことを祈るばかりだ。先ほど熱させた短剣を持つと、アランは躊躇せず、一気に傷跡に押しつけた。老人の胸がふくらみ、体中に力が入る。しかし、彼は今度は声を上げなかった。肉の焼けるにおいがあたりに立ちこめ、何人かが堪えきれずに洞窟の外へと向かった。ぶすぶすという残酷な音がしたが、アランは奥歯をかみしめて、短剣を放り出して奇声を上げながら逃げ出したい衝動に耐えた。
アランが剣をはなすと、血はにじみ出る程度におさまっていた。恐ろしい火傷が残ったが、何か悪いものが足に入り込んでいなくて、筋肉を傷つけていなければ、彼の足はよくなるだろう。再び歩けるようになるかも知れない。だが、希望を持たせるようなことを言うのはやめておいた。アランは、前に狩りの最中にあやまって足を怪我した兵士を見たことがあった。彼は、ちょうどロイドと同じような場所を怪我して城に運び込まれた。アランが行ったような処置を受け、栄養を十分にとって安静にしていたが、高熱と膿に苦しみ、ついにはうわごとを口走るようになった。何日も苦しみ抜いたが、一度も回復の兆しを見せることのないまま、結局彼は死んでしまった。アランは首を振って、よくない考えを頭から閉め出した。
「なんとか、血は止まりました」アランは額の汗をぬぐった。おずおずと外から戻ってきたクラナド達が、その様子を見て安堵のため息を漏らした。
「ですが、しばらくはここから動かさない方が良いでしょう。傷口が開いてしまわないように」そんなことが可能なのか、言いながら考えた。討伐隊は、昨日の戦果に満足して引き上げるだろう。なにしろ、数え切れないほどの死体が灌木の林を埋め尽くしていたのだから。しばらくは討伐隊が結成されることもあるまい。
「ありがとう、アラン!」ハーディは、夜通し起きて居たせいで赤くなった目に涙をためてアランを見た。アランは、周りの皆が同じような視線を自分に向けているのに気づいて気恥ずかしくなった。「私は何も……むしろ、皆さんに謝らないと」
「あなたが謝る必要はない」ロイドの弱々しい声に、アランは振り向いた。「あなたの剣には、一滴の血も付いておらんかった。そうでなくば、ハーディはあなたをここへ連れてきたりはしなかったじゃろう。のう?」ハーディは元気よくうなずいた。
「ありがとう」アランは言った。クラナド達は、まさか彼から礼の言葉を聞くとは思わず、顔を見合わせた。
その時、洞窟の外で話し声が聞こえて、みんなの顔にさっと恐怖の影が差した。アランは何も言わず、手で口を押さえて静かにするようにみんなに伝えた。やはり見つかったか。
「私が合図をしたら、長を担いで一気に洞窟の外へ逃げてください。外に馬がつないである。できたらあの子も連れて行って」
「アラン」か細い声に呼び止められて振り返った。ハーディが心配そうな顔で彼女を見つめている。アランは微笑んで手を振った。
足音を立てないように、そっと洞窟の外に近づく。外は明るくなっていて、洞窟の奥にいても、暗がりに慣れた目からじわりと涙がでた。木々の隙間から、朝日が矢のように差し込んできている。一人はウィリアムの声、もう一人は、同じ分隊にいた男だ。他にも何人か、たき火の後を見ながら話し合っていた。「まだ新しい」「きっとこの中に潜んでいるに違いない」
万事休す。アランは、洞窟の奥で息を殺している、あの罪もない人びとの事を思い、そして切り捨てられた死体を思い出した。心臓が、力強くうつ。鋼の鎧がこすれ合う音が、洞窟の中にこだました。洞窟に入ってこられたら、もう逃げ道はない。アランは、大きく息を吸い込み、腰に帯びた剣を初めて抜いた。もう、帰る道はない。