百一夜の夢の後〜三夜〜-3
色めき立つ騒ぎの中、その男の周りだけが静かで涼やかに感じた。
どうしてこの男は物珍しげにあちきを見ないのであろう。
男はならの飢えたよう獲物や舐めるよう隅々まで物を見定めるような視線を送らないどころか、あちきに興味の欠片もみせないのがいっそ清々しくて嬉しい、だなんて、そう思うのは花魁失格だろうか。
「お前も拝ませてもらえ!あの花街一の牡丹花魁だ!お前は女のオの字も見当たらないからな」
粉を触っていたのか、白い手を叩きこちらを向いて凝視するでなくすぐ頭を下げるので、頭を下げ返す。
その時簪につけた鈴がしゃらりと鳴れば、驚いたように男はぱっと顔を上げ……微笑んだ。
その顔に、――驚いた。
涼やか静かに感じていた男の印象が、一瞬で柔らかく暖かに感じられた自分の変化が。
そしてあちきを見る目が未だけして色めき立ったものでないことに。
何より……蔵ノ介がみそかを見る眼差しと、同じ目であちきを見る、そのどこまでも日溜まりの暖かさと空のように果てない澄んだ色。
風が、吹く。
しゃらりしゃらりんと鳴る簪につけた鈴の音に目眩がした。
「ちっ…、五月蝿くなってきたな……牡丹、さっさと帯を見に行くぞ」
「あ…わかりんした。では、失礼いたしんす」
後ろ髪を引かれながら、しゃらりんりんと揺れる簪を心許なく聞いていた。
『ありがとうございます』
翌日届いたくじ菓子の中に鈴はあらず、一筆だけがあった。
では、やはり……あの方だったのだ。
……佐助様。
仕事柄人の名を覚え易くなった耳をもつのに今ほど感謝したことはないだろう。
『動くが吉』
みそかと頂いたくじ菓子の御神籤。
どうか許されるのならそれを信じたい。
禿に頼んでわざと一番質素な紙を貰い文を書く。
文なんて…今まで御客の旦那方に山ほど書いてきたのに、筆を持つ手が震える。
何を書きたいのか、言いたいことも聞きたいこともありすぎて何から書けばいいのかわからない。