あべ☆ちほ-32
「実を言えば僕もそのぐらいの覚悟しちゃってた。僕が千穂を殺してあげるんだ、とか。これから死んじゃう千穂に僕が干渉できることなんて、それを自分のせいにしちゃうことだけだしね」
「……じゃあ」
「でも、そういうのは違うなって。僕の望みは、結局のところ千穂と笑顔でお別れがしたいってだけだからさ」
「……綺麗事」
千穂はすっかり拗ねてしまって子供みたいに言う。
「うん。綺麗事。でもだからこそ綺麗でしょう?千穂はもう僕に殺されちゃってるからこの先なんか気にする必要がなくって、僕は笑顔でお別れできたから思いが果たせて」
虚構の。仮初の。欺瞞の。贋物の。それ以外のなにものでもないお別れ。
「信じられたら……」
毛布に顔を隠して千穂は言った。
「全部そうだったことにできたら、きっととってもいいラストシーンだったと思うよ。けど、それには私の想像力が少し足りないかな」
「どうしたら足りるかな?」
「リアリティーが欲しいかも」
リアリティー?と僕は聞き返した。
「きみがここにいるって教えて?ぎゅって」
千穂が両手を僕に伸ばした。たどたどしい、赤ちゃんがするみたいな求め方。
僕は千穂を抱きしめた。千穂も僕を抱きしめた。
熱と鼓動が伝わってくる。思いや感情も伝わればいいのに。伝わって欲しいことはいつだってちゃんと伝わらない。
だから口に出す。もう一度、笑顔でお別れを。
ケホッ。
でも、そのとき千穂の口から小さい咳がこぼれた。
ケホケホ。
続けて2回。それが悪い予言だったみたいにあっという間に咳は尋常じゃない大きさになった。
がっほがっほと気管支を削るような咳が止まらなくなる。
咳に喘ぎながら千穂の目が僕を見た。
おそらく僕は正確にその意味を読み取れたと思う。あれは「ごめんね」だ。
僕はナースコールを捜した。だってこんなのってない。どう自己満足したってそれでも認められない。こんなとこで千穂と終われない。
ナースコールは見当たらない。毛布を引っ剥がして投げ捨てベッドの周りを探すけど、それらしいものは見つからない。
その間にも千穂の咳がひどくなる。ひゅーひゅーとふいごのような音が千穂からしたと思うと轟々という音のする咳。いつかのように口の周りには血がついている。