あべ☆ちほ-31
*
情けない話。
したくない話。でも、しなくちゃフェアじゃない話。
あの日の、あの夜の話。
「目を閉じて。眠るみたいに自然な感じで」
そう言うと、千穂は軽くうなずいて目を閉じた。緊張のない、無駄な力の入ってない、スゥっとした寝姿。諦観すらない、ただの無防備さ。それは僕をがちがちに緊張させた。
なにか縋るものを探して僕はリュックをまさぐった。でも出てきたのは果物ナイフが一本だけ。
手にとって握ってみる。刃に触れてみる。なんの脅威も感じない/感じさせない。これはただのツールだ。鋭く尖った硬い鉄の道具。
「なんか凄いな。最終章に来ちゃった感じ」
目をつむったまま千穂が言った。
「ちょっと笑えないかな」
「まあ、ジョークにならないもんね。ほんとに最終章なんだし」
「千穂は怖かったりしないの?」
千穂は目を閉じたまま口だけ笑って、
「これがね。びっくりするぐらい怖いの。一周して笑っちゃうぐらい。なんだよって、覚悟してたはずだろって、どれだけ思っても、でもね、怖いんだ」
それを聞いて、ふと、自分がなにをしてるんだか分らなくなった。でも多分違う。違ったはずだ。
結末に抗って僕らがどんな無駄足掻きをしても、それは構わないだろうけど、でも、それはこういうことだったんだっけ?
霧が晴れるみたいなイメジ。天啓には程遠い、解決には至らない。でも僕には僕がやろうとしてることと僕がしたいことがなんとなく透けて見えてしまった。
「千穂、いくよ」
「……ん。わかった」
千穂が。自然にといっているのに結局目をギュッとつむってしまった千穂が、あまりにいつもどおりなことに少し感動して、それから千穂の心臓の位置に目算をつける。胸の上で組んだ手のちょうど真下。そこに果物ナイフを上から――
トン。
「え?」
柄の部分を軽く僕は乗せた。
「ようこそ。死者の世界へ。千穂はもう死人だからこの先お別れはいらないね」
「ええぇえぇぇぇ!?」
千穂はベッドから跳ね起きる。
「そ、それで終わり?」
「自己満足の話で言えばそうだね。これで終わり」
「わ。私がどれだけの覚悟をしたと…っ!このぉ!」
千穂の手から毛布の鞭がしなる。へろへろのその攻撃をそれでも僕は避けなかった。