あべ☆ちほ-16
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千穂は重病人ではあるが子供を次々に誘拐しては殺して食べてしまう殺人鬼ではないし、そこは県の総合病院であって絶海に浮かぶ孤島の刑務所ではないので人目を盗んで抜け出すということはちっとも難しくなかった。
それに僕らはボニーとクライドのようにこれから永久に逃亡し続けるわけじゃない。ただクリスマス・イブにありふれたカップルのようにデートするだけだ。だから病院の敷地を出るその一瞬だけを注意すればあとのことは問題なかった。
そしてそれはおおむねうまくいった。
けれど駅前に着いたとき、千穂は頬をふくらましていた。
「服が可愛くない」
千穂は言った。
千穂の服が可愛くないかどうか、客観的に判断するならたしかにそれは可愛くなかった。なぜならそれは360度どこから見たって白い柄の事務的なパジャマだったからだ。
「そんなことはない。かわいいよ。よく似合ってる」と、僕は言った。嘘をついた。
「そんなことある!かわいくない!似合ってるのもやだ!」と、千穂は言った。嘘は役に立たなかった。
どれだけはしゃいでも僕らは駅前で注意を引かなかった。人が多いからというのもあるが、それ以上に千穂のパジャマ姿があまりに馴染んだものだったからだ。
それでも僕らはまず財布に合ったレベルのブティックにいって千穂の気に入る――それでいて手が届く範囲の――服を買った。これは逃亡じゃなくデートだから。
そのおかげでブティックを出た頃には千穂の機嫌はかなりよくなっていた。鼻歌すら歌って。
それはマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」だった。僕も続いてハミングした。
今年のクリスマスは高いものをねだったりしないわ
雪だって降らなくていい
私はずっと待ち続けるわ
ヤドリギの下で
歌の通りに千穂は高いものはねだらなかった。千穂の出した希望は一つだけだ。けれど、それは大きな希望だった。
「ゲームセンターに行きたい」
ふむ。と僕は言った。その態度が千穂は気に入らないようだった。
「バカだと思ってる」
「誰が?」
ん。と言いながら僕を指差す。
「誰を?」
ん。自分を指差す。
「だいたいあってる」
「やっぱりー!不当だー!」
「不当じゃない。こういうのは適当って言うんだ。いいかい?千穂の現在のジョブは重病人だ。これは死に損ないと言い替えてもいい」
死に損ない、と千穂はつぶやいた。