春(2010年度)-1
左右に連なる桜並木。
満開の白い花の間から覗く蒼穹とのコントラスト。
学生服の少年はまるで絵でも描いているかのように指で景色を切り取ると神妙な顔で中を覗き込んだ。
少年の名前は寺杣正樹(てらそままさき)。
学校近くにある市民公園に花見がてら写真を撮りに来ている近所の高校生である。
正樹はアングルを定めると、額に垂れる柔らかな前髪を払い、首から下げたカメラを覗き込んだ。
すると、地平の彼方まで続く桜のトンネルを背景に一人の少女が桜に劣らぬ愛らしい笑みを湛えて立っていた。
突然現れた少女に正樹は戸惑ったが、咄嗟にカメラを下ろして生の視界に戻ると、そこに立っていたのは正樹の見知った少女だった。
クラスメイトの姫木りんご。
りんごの方は最初から正樹に気が付いていたのか、少し小首を傾げると、好奇心に満ちた瞳で正樹を見上げた。
桜が咲いたとはいえまだ肌寒く、りんごは薄手のジャケットを羽織っていたが、ミニスカートからは健康的な素足が伸びており、正樹は思わず視線を反らした。
「よう、寺杣。授業サボって花見か?」
「あ、ああ。そう言う姫木もサボタージュか?」
「違う、違う。うちの学校は創立記念日」
「うちの学校の創立記念日は6月だ」
「あれ、そうだったか?」
悪びれることなく笑うりんごに正樹は呆れたが、屈託の無い笑顔はどこか憎めない。
クラス内に於いてもりんごは調子良く誰にでも話し掛け、いつの間にか会話の中にいる。
ところが、いつの間にか姿を消しているので特に印象のある生徒ではなかった。
「それにしてもいい天気だな」
そう言って眩しげに空を仰ぐりんご。
花弁越しに降り注ぐ陽光は柔らかく、少女の横顔は学校で見られるものとはまるで違った。
「寺杣はいつも撮影で学校をサボってるのか?」
りんごの問い掛けに正樹は言い淀んだ。
「……別に、しょっちゅうって訳じゃないさ」
歯切れの悪い正樹の態度をりんごは特に気にする風ではなかった。
「写真、撮らなくていいのか?」
「あ、ああ、そうだった」
慌ててカメラを構える正樹。
実は、正樹には写真撮影の他にも目的があった。
それは昨晩のこと。
塾の帰り道、自転車でこの公園を通りがかった時だった。
いつもは人気の無い公園も桜が咲き始めたということで賑わっていた。
正樹も自転車を降り、街灯に照らされる夜桜を見ながら歩き出す。
すると、ふと、木々の間に立つ少女に気が付いた。
何気なく見かけた少女だったが、正樹は目が離せなかった。
遠目で判然としなかったが、舞い落ちる花弁の中、少女は踊るように身を翻した。
ほんの一瞬の出来事だったが正樹の中で時間が止まり、喧騒が遠のく。
しかし、正樹の視線に気が付いた少女は驚き、慌てて木の向こうに姿を消した。
取り残された正樹の周囲に街の雑踏が戻る。
その晩は月が明るく、妙に寝つかれなかった。
そして気が付くと授業には出ず、足が公園に向いたのだ。
カメラのファインダーを覗きながら、昨晩の少女のことを考える正樹。
「(そう言えば昨日の女の子、遠目だったけど、姫木に似ていたような)」
そんなことがふと頭をよぎった瞬間、カメラのファインダーがりんごの顔を捉えていた。
シャッターを切る音がしたが、幸いりんごには気付かれなかったようだ。