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【イムラヴァ】
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【イムラヴァ:第一部】二章:コルデン城のルウェレ-2

トルヘアで生まれ育った子供にとって、エレンは昔から神秘と、恐怖の宝庫だった。昔話やおとぎ話には、かならずエレンの名が登場する。曰く、エレンに住むのは精霊の血を引くの一族で、彼らは世にも恐ろしい怪物を自由自在に操ることができるとか。また、彼らは魔法を操って、運悪く島にたどり着いた旅人を頭から食ってしまうとか、美しい歌声で船乗りを誘惑して、永遠に家に帰れないように捕らえてしまう。そんな物語を、子供達は沢山耳にして大きくなった。手に負えない悪戯癖が治らない子供のことは、エリンの妖精、「シー」の子と呼ばれたりもした。きっとこの子は、母親が寝ている間に、エリンの妖精(シー)(シー)と取り替えられてしまったんだ、と。

それが単なるたとえ話ではなくなったのは、トルヘアの王ゲオルギウスT世が天光教から破門されてから数ヶ月のことだった。国王の探険家ジェイコブ・チボデーが、トルヘアの西海への航海で、長い間閉ざされていた、エレンへの航路を発見した。王はこれを神からの啓示とし、トルヘア国教を打ち立てた。彼はすぐさま、悪鬼打倒のための大軍を指揮して西海を渡る。この一大遠征に国中が沸き立ち、王の破門や新教に対する不満は、棚上げになった。今にして思う人が思ったなら、エレンの発見とそこへの遠征は、は王にとって好都合な醜聞の隠れ蓑だったのである。

 エレンの伝説が語るように、かの国の騎士達は怪物を駆使した。まるでトルヘア人が馬を使うのと同じように、翼の生えた獅子やら龍やら巨大な狼やらを、いともたやすく使いこなしていた。騎士達は普通の人間と同じように見えた。だが、トルヘアの兵隊の心胆を寒からしめたのは、そうではない者たちだった。その、獣のような風采をした者どもは、伝説の通りに妖精、または、敵意を込めて悪鬼と呼ばれた。

異形の者達に関するうわさ話は、海を隔てたトルヘアの民を、そして大陸をも震撼させた。大陸の列国は、エリン討伐を引き受けたトルヘアに多額の援助をした。ひとえに、その悪鬼とやらの猖獗を水際で食い止めたかったからである。数百年もの間、戦もなく平和に暮らしてきたエレンと、強力な後ろ盾と神の加護を背負って戦うトルヘア。結果は火を見るよりも明らかだった。いくら魔法を使えようが、ケダモノにまたがる悪鬼がどれほど束になろうが、トルヘアの敵ではなかった。

かくてエレンは領地を失った。しかし、本島は今でも攻め落とされることなく海の向こうにある。もちろん、トルヘア国王が一気呵成に本島の占領を試みなかったはずはない。実際、エレンの王は斃れ、残党の殲滅も容易いことのように思えた。しかし、トルヘアがエレンに上陸してまもなく、エレンの民でさえ見たこともないほど沢山の怪物が国中にあふれたのだ。あたかも地の底に眠っていた怪物共が、軍靴の足音に揺り起こされ、そこいら中から這い出てきたかのように。

怪物の大群のせいで、エレンは地獄のような有様になった。怪物は襲う者を選ばなかったのだ。トルヘアの兵士達は退却を余儀なくされ、エレンの民は逃げ場もないまま死に絶えた。

これはもう四十年以上も前の話だが、今でも、エレンの海峡には数多の化け物が潜んでいる。それに、どうにかして海を渡った怪物共が、今ではトルヘアの森や山に、ひっそりと暮らしているとも言われている。

目と鼻の先にあるエレンの征服にトルヘアが手を伸ばさないのは、海峡に立ちこめる濃霧とその中に潜む怪物たちのせいなのだ。さらに、「泳ぐ島」や、「旅する島」と呼ばれる、エレンを取り巻く小島群が、海をゆく者たちの舳先を惑わしている。エレンへの航路は、戦争以来再び失われてしまった。トルヘア王は、エレンを呪われた島と呼び、エレンからの移民と交易を禁じた。誰も島に近づけない以上、エレンにまだ生きている人間が居るのかすら定かではない。一時期、砂糖に群がる蟻のように沿岸を埋め尽くしていたエレンからの亡命船は、その多くが岸にたどり着く前に次々に火矢を放たれ、炎に飲まれて沈んだ。今では、水平線の上に揺らぐ船影すら見えることはない。噂に上るまでもなく、エレンが今や死の島と化していることは疑いようのない事実と言って良かった。


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