恋してくれますか-1
数学準備室の前で、もう十五分は立ち尽くしている。
ドアノブに手を掛けては離す、というのを繰り返していた。
いつもと同じように図々しく質問しに入ってしまえばいい、と思いながらも、私はその場から動けなかった。
『---また、来い』
それは、私の耳にいつまでも残っている高橋先生の低い声を、何度も思い出してしまうから。
先生はなぜ、そう言ってくれたんだろう。
あの先生の瞳が、声が、私から離れてくれない。
だから、私は扉を開けられない。
だって今、先生と二人になったら、きっと私は…。
私、は………何…?
…私、何かするつもりなのかな。
こんな、ざわざわした気持ち、わかんない…。
私が勝手に混乱して悩み始めたとき---こちらに向かってくる足音が聞こえた。
私はつい隠れる場所を探したが、そばに柱や棚は見当たらず、ばたばたと動き回った。
…あ、あそこなら。
私は準備室の前に備え付けてある大きなテーブルの下に、体を潜り込ませた。
やがて、軽やかな足音が私のすぐそばまで来て止まった。
その人の足元だけが、私の視界に入る。
私と同じ制服のスカート、紺色の靴下、指定の上履き。
だけど、チェックのスカートの裾は私よりも大分上の方にあって、靴下はブランドもののロゴマークが付いていた。
上履きの前の方には、左に『伊藤!!』、右に『由佳ちゃん♪』とピンクの文字で書いてあった。
ふと私の上履きを見ると、左右共黒いサインペンで『畑本』と小さく書いてあった。
「せーんせ、いるぅ?」
楽しそうな大きな声で呼び掛けながら、思い切り良く扉を開ける。
『あ』とつい口が開いてしまった。
私がずっと躊躇していた"扉"を、あんなに簡単に開けてしまうなんて…。
『由佳ちゃん』は返事を待たずに、先程と同じ軽やかな足取りで中に入っていった。
私は少し開いたままの扉を見つめ、つい耳をそばだててしまう。
「伊藤か。なんだ?」
「会いに来ちゃったぁ。」
文末にハートマークでも付いていそうな口調が部屋から聞こえる。