バレンタインデー-1
珈琲。
煙草。
枝豆。
土曜日の午後。
カレー。
家電量販店。
お月様。
彼の好きなものを思い浮かべる。
私の王子を射止めるために。
「好き」のカテゴリーに、私もいつか入るといいなと無謀な夢をみながら。
でも、彼の好きなものをこれだけ知っているのは、私しかいないんじゃないかと、ちょっと誇らしく思ったりもして。
幸福な片思い。
でも、このまま二人の関係が変わらず、ずっと平行線のままだったらどうしようと考えると、少し怖い。
*
「どうして怒ってるの」
彼が困惑気味に尋ねてきたので、私は片眉を上げて彼をみた。
「別に」
多分困って、取りあえず雅成くんは煙草に火をつけた。
葉っぱが燃える匂いと微かに甘い香りが漂う。
「…嘘。紗依ちゃん、こっち向いて」
雅成くんが私の顔を覗き込もうとするけど、私は反対側に顔を背けた。
なんで、この人が手に入らないんだろう。
どうして、自分の想いが届かないんだろう。
もどかしくて、私一人がじたばたして。
…みっともない。
「…なんでもないの。でも、私、ばかみたい。ばかみたいで嫌」
情けなくて、何の涙か分からないけど、泣けてきて、私は顔を覆った。
雅成くんは絶句して、慌ててまだ長い煙草をもみ消すと、私の肩をそっと抱こうとする。
それを、私は乱暴に振り払う。
「帰って。今日は帰って、雅成くん。…お願い」
自分で発した言葉なのに、それは何だか疲れた愛人が男に放ったようにも聞こえて、滑稽だった。
彼はすぐには立ち去らず、私の傍で所在無くもぞもぞとしていたが、どうしようか大分躊躇した後、私の頭を軽く撫でて、立ち上がる。
「…ごめんね」
きっと、何も分かっていないまま、取りあえず呟いて、彼は私の部屋を出た。
煙草の香りと、消毒液のような、漢方薬のような、彼独特の匂いが私の部屋に漂っていた。
私は、勢い良く窓を開けて、喚起する。
彼の気配を断つように。
―ばかみたいだ。
幸福な片思いなんて、きっとない。
空には、丸々とした月が顔を出している。
でもその光は、今日はとても寒々としているようにみえた。