バレンタインデー-2
包装を剥がし、まな板の上で細かく刻む。無心で行う作業は、彼にとって心地が良かった。買ったばかりの真っ赤なソファで堂々と寝転び、テレビのワイドショウを笑いながら見る彼女がいなければ、それは更に心地が良かった事だろう。
「ねえ、今どうなってんの? 見せて」
面倒臭いと思いながら、溶かしたチョコレートが入っているボウルを見せに行く。
「ほら」
「ふうん」
「あ」
女はボウルを覗き込み、指先で掬い取って舐めて見せた。その一連の動作は、驚く程に素早いものだった。
「汚い」
「失礼ね」
再び、ボウルのチョコレートを指先で掬い取る。そして、彼の目の前に突き付けた。舐めなさい、とでも言わんばかりの顔である。
「早く」
「ええい、ままよ」とばかりに舌を伸ばして、男は指先をねぶる様にしゃぶった。細く、生暖かい──言うなれば、人肌の指。他人の指を舐める行為。異性といえど、何の関係も無かった相手である。ただ、同じサークルに所属していただけだ。それでも、整った顔の女だとは思っていたが。
その不安定な空間で、男は揺れ動いていた。
「良く出来ました」
「………」
性欲、と一言で片付けられる様なものでは無い。もっと、何か別のものだと脈が速まる。そして、彼女はボウルから三度チョコレートを掬った。茶色に染められた指先を見て、彼はパブロフの犬に成り下がった様にだらし無く口を開く。すると、女は「待て」と制止をかけた。ごくり、と無意識に男の喉が鳴る。
「同じ事の繰り返しじゃあ、能が無いでしょう? ねえ?」
(3)
女はシャツのボタンを上から五つだけ外し、開けさせる。チラリと黒いブラジャーが見え、彼の脳裏にはドロドロとしたマーブルカラーの欲求が渦巻く。
「ふふ、焦らないの」
すいっと軽く指を動かして、首から胸にかけて流す。白い喉に流れるチョコレートは、鎖骨を伝って胸元まで緩やかに落ちていった。
「早くしないと、服が汚れちゃうわ」
朦朧としているのは、暖房のせいだろうか。そうだ、そうに違いない。こんなもの、有り得ようが無い非日常的なものなのだから──と男はぼんやり思う。
それでも、男の性だろうか。ソファへ押し倒しながら、愛おしむ様に首筋から白い喉を伝って、鎖骨から胸元へと垂れるチョコレートを舐め取っていく。
「……重いわ」
彼が顔を上げると、気だるそうに目を細めた。しかし、聞こえない振りで彼女の胸に顔を埋めようとした瞬間だった。
「退きなさい、って言っているのよ」
その厳しい口振りに驚いて、思わず男はソファから飛び退く。
「す、すまない……」
「別に、怒っているわけじゃないのよ」
ロングスカートをそろりそろりと捲くり上げ、彼女は挑発する様に自慢の脚線美を見せつけた。白くみずみずしい生脚に、すっかり釘付けになっている男の視線を見て、ほくそ笑みながら指先のチョコレートを脚に擦り付ける。
「ほら」
そして、その脚を投げ出した。とろりと柔肌を伝うチョコレートから目を離す事が出来ない男は、ごくりと大きく喉を動かして生唾を飲む。
「舐めても良いのよ、潔癖性さん」
「………」
「どうしたの? 床に落ちるわよ」
明らかに楽しんでいる様子の彼女は、それがまるでコメディーの様にでも感じているのだろう。男は下唇を噛みながら、半ば諦めた様に欲求へと身を投じた。
「可愛い人」
彼が脚を舐め終わると、女は徐々に股座の方へとチョコレートを垂らしていく。太股の内側にある黒子やブラジャーと揃いのショーツを見て、男は下半身を熱くさせた。
「あら」
「……え?」
彼女の視線と鼻の下にどろりと液体が流れるのを感じて、彼はこんな時に鼻水かと手の甲をやる。しかし、見ればそれは鼻血だった。なるべく上を向きながら、慌ててティッシュを取っては鼻に詰めたり、鼻を押さえたりを繰り返す。女は苦笑すると、「じゃあね」と一言だけ告げてソファから立ち上がった。
「ま、待って……、ちょっと」
追い掛けようとしたが、男はスリッパに蹴躓いてそのまま倒れた。その滑稽な様子を見て高く笑いながら、彼女はマンションを後にしたのだった。