恋なんて知らない-8
「元気がなくなったら、食べて。」
笠井さんは優しくて、素敵だ。
---私も、こんな風に笑えたらいいのに。
私はそそくさとドアに向かったが、扉に手を掛けたところで立ち止まる。
「あの、笠井さん。」
「ん?」
「あ、ありがとう。」
「ううん、また明日ね。」
私はとうに下校時刻を過ぎた校内をぱたぱたと急ぎ、廊下を横切ったとき
---高橋先生の姿が目に入った。
特に理由もないのに、咄嗟に柱の陰に身を隠す。
先生は私に気づく様子はなく、小脇に教材を抱えて慣れた足取りで通り過ぎて行った。
冷静な瞳。
先生の顔。
…私には変えられない。
先程の先生の声を思い出す。
私はまた心がきゅっとするのを感じて、さっき貰ったばかりのレモンキャンディの包みを開けた。
…笠井さんは元気がなくなったときにって言っていたのに、こんな何でもないときに開けて勿体ないな。
そう思いながらも、口の中にガラスの様に綺麗な飴玉をほうり込んだ。
甘酸っぱい味が広がる。
れもん、と心で呟き、周囲を気にしながら私は校門に向かって走った。
校門を通り過ぎても、まだ私は走っていた。
電車通学の私は駅まで走り、ちょうど来た電車に息を切らして乗り込んだ。
最近は冬が近づいて、周囲はすぐに暗くなる。
窓を流れていく夜の街に映る自分の姿が、目に入った。
『畑本さん、なんだかいつもと違う?』
笠井さんの声とレモンの香りが心に染み込む。
自分がさっきしていた顔の動きを必死に作り直して、目の前にある表情を確認してみた。
何がそんなに違ったのかな?
顔を両手で包む。
冷たい指先が目尻に触れて、先生の温度を思い出した。