多分、救いのない話。-9--6
「ありゃあ、……」
「あら、またブロッコリー残して」
「うーん、このザラザラが苦手なのにー」
「出来れば食べて欲しいわ、せっかく作ったのに」
「むぅ、お母さんは意地悪だー。というわけで先生、はい」
「え、俺?」
完全に蚊帳の外だった葉月にいきなり話を、というかブロッコリーを振られて仕方なくとりあえず皿に置いた。
神栖が来てからずっと母娘はこの調子で、つまりは葉月のよく知ってる、のんびりほんわかふわふわな口調と天然な反応の神栖慈愛と、それに自然に接する、母親の図。これが日常の風景なのだろう。
神栖のほんわかした雰囲気は、居るだけで、その場の空気を作ってしまう。決して強制ではなく自然に。周りも気付かぬうちに、場は神栖慈愛の世界になる。
あの母親ですら、例外ではない。葉月をあれほど怯えさせた凶気は、今や完全に払拭されている。
だからこそ。葉月は余計わからなくなるのだ。
何故これほど自然体で笑えるのか。この異常な状況で、母親の“あんな姿”を見て。あれほどの《痛み》を日常で与えられて。
演技にはとても見えない。母娘の会話をただ単純に楽しんでいて、状況を理解していないのではとすら思える。
だけど、この子供は。誰にでも、それこそこの母親にすら分からせなかった自然体の裏で。監禁していたのだ――父親を。
それは、間違いなく《歪み》だ。
痛みを愉しむこの《怪物》から産まれたこの子供は。この屈託のない笑みを浮かべているこの子供に。
《痛み》しかない親から、他に何が与えられる?――…………、
違和感。
「先生?」
子供は覗き込む。葉月の顔を、濁りのない瞳で。
「ブロッコリー、お嫌いですか?」
母親は微笑を湛えながら訊ねる。視線は柔らかく透明で、何も含まれていなくて。
「食欲がないんだよ」
必死に笑って返す。四つの瞳に堪えられない。
《怪物》も、その子供も。その瞳が同じ透明な光を宿していることに、もう葉月は堪えられない。
「そう、なら先生には御馳走様してもらいましょうか」
「お母さん、今日は帰る?」
「ええ。慈愛も食べたら帰るわよ」
「はーいぃ。じゃあ、先生……ゆっくり休んでね」
「あぁ」
声がかすれた。クラクラする。クラクラクラクラ
ヒヤリと、額に冷たい熱。
「先生、少し熱がある」
ほんの僅かな、だけど確かにあった、心配そうな声。
「大丈夫?」
「慈愛、体温計を……一人でベッドに戻れますか?」
答える余裕がない。
「慈愛、先に先生を部屋に運ぶわ。手伝って」
「うん」
阿吽の呼吸で母娘は葉月をベッドに運ぶ。
熱に苛まれながら、その時――電撃が走ったように、違和感の正体がわかった。
この女は、《痛み》を介していないと他者を感じられないという。
血を分けた子に対してすらそうなのだと。だからこそ、最悪の痛みを与えた“アレ”に、執着した。その果てに産まれた我が子を、《痛み》しか知らない《怪物》はそれでも育てている。
しかし、いつから?
《痛み》しかない、だから他者がわからない。
それは、慈愛を与えられた時からなのか。
違う。それはきっと、違う。
最低な話だが、強姦というのは、決して少なくない話だ。確かに程度の差はあって、そしてその中でも本当に最悪に近い事件だけど。
それだけでここまでの《怪物》は産まれるものなのか。
決して少なくない同質の事件の被害者が、こんな《怪物》になった話を、少なくとも葉月は知らない。
いや、違う。先程の会話で“彼女”は言っていた。