逃げ出しタイッ!?-60
「何? 真澄さん」
「この子、新入生なの。ま、私もだけど、ちょっと案内してよ」
「え?」
「いいでしょ? 絵を描いてるだけじゃ身体がなまるわよ? たまには身体を動かさないと」
「……ちょっと梓、悪いわよ」
「いいのいいの。彼、優しいから」
一方的に話を進める傲慢な態度に雅美は小声でそれを諌めるが、梓は気にするそぶりもない。
「ああわかったよ。じゃあ、最初は職員室から」
「ちょっと、そんなとどうでもいいでしょ? 最初に誰でも行くんだから。もっとこう、そうねえ、八階って何があるのかしら?」
「八階は食堂だよ。ここのビルの人たちはみんないつもそこで食べてる。結構美味しいらしいし、後でいこうか?」
「んー、そうねえ、もうおなかもすいてきたし、どうせ授業なんてないでしょ?
ね、今から行きましょ」
といっても時計はまだ十一時を少し回った程度。
「梓、見かけによらず食いしん坊?」
「ふふふ、今は成長期なのよ」
彼女の学年は知らないが、おおよそ十七歳の彼女にこれ以上成長の余地があるのだろうか? そんな疑問を抱きたくなるが、今朝は雅美もカフェオレ一杯しか口にしていない。
「まあいいや。いこ」
だから頷いた。
「ほら鏡君も……えと、名前なんだっけ?」
「鏡双冶。梓さん、これで何度目?」
双冶はため息をつきながらも嫌がる様子なく名乗ると、雅美に一礼する。
「よ、よろしく」
双冶は梓にあれこれと注文をつけられ、その一つ一つに「うんうん」と頷いていた。
――なんだか、苦労しそうな子。
階段を上る途中も梓の講釈は続き、彼女の性格が知れてくる。
――なんかお嬢様っていうか、女王様って感じね。
「ちょっと雅美、何がおかしいの?」
「ん? あ、いや、別に、そうじゃなくて……、あ、なんかいい匂いしてきた!」
ありがたい説法の矛先が向きそうになったのを察知した雅美は、二人の間をさっと通り抜けて階段を駆け上がる。
「もう、貴女だって食いしん坊じゃない!」
それを追いかけてくれる新しい友人と、その子分。
ともかく、秋の終わりに始まった新生活。
夢の続きは自ら歪めたが、現実の続きは動き始めている。
予約済みの切ないイベントまで、しばらくはこの元気な友人に付き合うのも悪くない。
それが転校初日の感想。
「もう、待ってよ!」
階段下から聞こえてくる梓の声を振り切り、
今は前に進みたい。
適度に、適度に……。
逃げ出しタイッ!?
完