逃げ出しタイッ!?-4
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「声だしていこー」
トラックを走る部員たちに声援を送るのは六月ぶり。
あのころはそれなりに一生懸命であった彼女をその気にさせるのは、来週のことがあるからこそ。
部員たちの何人かは首をかしげながらも、彼女からタオルと水分を受け取っていた。
――んでも、いったいなんだろ。お願いって。山形先輩ってなんか変な感じのする人だし、チョイ苦手だしなあ。
不安というほどではないが、気になる案件。
というのも入部したてのころ、昇はなにかと話しかけてきて、何度もメールアドレスを聞いてきた。
雅美としては彼のようないかつい男が好みでなく、また耳を隠すボリュームのある髪も、かきあげる仕草も好きではなかった。
最初のころこそ先輩後輩の関係上、それなりの対応をしていたが、あまりに鬱陶しくなったので後藤を介して退部の意思を伝えたところ、表面上は収まった。
――っていうか、あのとき辞めておけばよかったのかも。
退部の意向は後藤に留まるように頼まれたので仕方なく続けているが、もし次になにかあれば答えはひとつしかなく、それは昇も知るところ。
――ま、大丈夫でしょ。
楽観的と思いつつ、雅美は部活が終わるのを待った。
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部員のほとんどが帰ったあと、雅美は一人部室に戻る。
「お願い」というのがどのようなものなのかは不明だが、約束は前払いされている。
もちろん、反故にしてもよいのだが、昇に借りをつくるようで気持ちが悪い。だから背に腹は変えられぬと、気持ちを飲んで部室のドアを叩く。
「失礼します」
「おう、入れよ」
自分の部屋でもないのにそれらしく振舞うのは、ほとんどの部員が彼に対してなにも言えないところがあるから。もちろん後藤は別だが。
「先輩、来週はありがとうございました。で、お願いって何ですか?」
例によって例のごとく、形式ばった答え方。それでも昇は気にしていないのか、不敵に笑うと椅子を出す。
雅美は長居をしたくなかったのだが、座らないのも感じ悪いと腰を下ろす。
「ん、そうだな」
今度は昇が立ち上がり、彼女の背後に回り、後ろ足でドアを蹴飛ばした。
ドアはバタンッと大きな音を立ててしまる。それこそドアが壊れるぐらいの勢いで。
「きゃっ!」
あまりの物音に悲鳴を上げる雅美。恐る恐る後ろを振り返ると、ニヤついた顔が一つ。
退路がふさがれた。
なぜかそう思った。
窓はあるが、重いそれを開く暇もなく、数歩の距離まである。おそらく、彼は彼女を逃すへまはしないだろう。
つまり、二人きり。
「なんですか? 先輩、人を呼びますよ?」
「誰がくるの?」
「後藤先生が来ます」
見た目はバリバリの体育会系なのに世界史の教師の後藤。空手、柔道、剣道の有段者にして合気もたしなむ格闘家。言葉より拳が先という噂のある彼は、入学式のときにブロックを素手で試し割りし「君たちにはこのようなことをしません」とのたまった。
だが、普段は頼りになるよい先生。
たびたび授業を脱線しては歴史のトリビアを披露してくれたりで、半分の生徒は興味津々、もう半分はぐっすりお休み。トータルでみると人気はあるほう。
当然雅美も彼だからこそ踏みとどまったわけで、それなりの信頼をおいていた。