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四十九日
【エッセイ/詩 その他小説】

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四十九日-1

夫の父が逝った。

ほぼ、余命宣告通りだった。

二週間前、三才になる私の息子と義理の母、それに私で還暦を祝った時にはもう、義父にローソクを吹き消す力は残されていなかった。

それでも、嬉しそうに眉尻を下げ、クリームの沢山乗ったケーキを前にはしゃぐ孫を、感慨深げに眺めていた義父。

数ヶ月前頃から食事が喉を通らなくなった義父の腹には、大量の腹水が溜まり、痩せた体に腹ばかりが目立っていた。

「何度抜いてもすぐに溜まるんだこれが……。まったく参ったよ。」と苦々しく笑う義父。

それでも、腹水を抜いたあとは幾らか体も楽なようで、ベッドに起き上がっている時間も今より長かったように思う。

しかし、いよいよ、もうその処置も出来ない段階に入ったという。

なぜなら、一見不要なものに見える腹水も実は栄養分の固まりで、弱った体からそれを大量に抜き取るのは下手すると命に関わるのだそうだ。

それは、もう一歩、義父が死に近付いたということを意味していた。

それでも義父は、寝返りを打つのに四苦八苦しながらも、私の腹を見ては「Mと同じくらいか、いや俺の方がでかいか……」と屈託なく笑う。

二人目妊娠中の八ヶ月の私の腹と、自分の腹とを見比べているのだ。

あと二ヶ月、何としてでもこの子に会って欲しいと思う。

それが嫁として、今の私に出来る唯一のことに思えるからだ。

実際、私の目には大丈夫なように見えていたのだけれど、どうやら義母には義父の死期がわかっていたらしい。

葬式が済んだあと、義母は「もう、あの時のお父さんほんとに限界だったのよ。今だから言うけど、上からも下からもどんだけ出るのってくらい、赤黒い液体が出てね。ほんとに辛そうだった。あなた達が来てくれたから頑張ってたけどね。」と寂しく笑った。


「俺を家に連れて帰れ。俺は死なない。」

いよいよの時がきて、病院に運び込まれた義父は、朦朧とする意識の中、病室を見舞った私にそう言ってしがみついた。

それはもう、死の床にある人間とは思えない程強い力で私の腕を締め上げ、怖い程だった。

「ほらお父さん、Mちゃん困ってるから」

義母が私の気持ちを察し義父を引き離してくれた時
、足元にいた息子はその鬼気迫る姿にわんわん泣き出していた。

「大丈夫だよ。おじいちゃんお家に帰りたいだけなんだよ。」

そう言って、私が息子を私が抱き上げ、「お父さん、また来るからね」と父に声を掛けた時にはもう、父は「ああ……うん」と再び昏睡の淵に戻りかけていた。

「もう昨日からずっとこうなのよ。二、三日が山だって言うから、会っといた方がいいと思ってMちゃん達を呼んだの。」

看病疲れで幾らかやつれた義母。

それでも義母は、いつも通りきれいだった。

そして、天性の明るさで気丈に振る舞っていた。

思えば、義父の肝臓ガンがわかってから五年。

切って五年、切らなければ三年、と宣告されてからも、義母は片時も離れることなく義父に付き添ってきた。

そして、その時の宣告通り、切ってから五年が経とうとしていた。

私がこの家に嫁に来て七年。

義父と義母は、お世辞にも仲の良い夫婦とは言えなかった。

お互いに言いたいことを言い合い、時に収拾がつかなくなることもあった。

義父の病気がわかる前は家庭内別居だった時期もある。

原因は深酒を戒める義母に、義父が手をあげたかららしい。

でも病気がわかった途端、二人はどちらからともなく寄り添うようになった。

「俺が死んだらお前寂しいぞ。どこをどう探したって俺はいないんだからな。」

元々冗談好きだった義父は、何かにつけ義母にそう言うようになった。

「やめてよ、頼まれたってあんたのことなんか探さないから。」

「聞いたかM、こいつはひどい女房だろう。お前はこんな風にはなるなよ。」

二人はいつも、そうやって私を出汁にして笑い合っていた。

その二日後、義父は眠るよう病室で息を引き取った。

「ほんとにどこも苦しまなかったのよ。」

死に目に立ち合えなかった私にとっては、義母のその言葉が心からの救いだった。


「しばらくの間、親父に線香あげて帰るから遅くなる。」

小さな壷に収まってしまった義父を抱いた夫は、そう言った。

それから四十九日までの間、夫は有言実行で毎日義父の仏前に通い続けた。

聞いた話によれば、亡くなった人は四十九日間自分が一番好きだった人のそばで過ごすという。

それならば、間違いなく義父は義母のそばに居るはずだと思い、私はその旨を義母に尋ねてみるよう夫に頼んだ。

「そんな気配はちっともないらしいぞ。」

真面目一本の夫は、たいして面白くもなさそうに私にそう言った。

後日、義母の話によると、夫は毎日同じ時間に実家に現れては仏前にあぐらを掻き、遺影の義父と小一時間、差し向かいでビールを飲んでいたという。

義父が病気になる前は、朝から晩まで油まみれになりながら狭い工場で顔を突き合わせ働いていた夫。

父である以上に、師匠だったのかもしれないな、と私は思う。

四十九日の納骨を無事に済ませたあと、夫は前と同じ時間に帰宅するようになった。

「あれだけ通ったんだから、親父も文句ないだろう。」

そう言って、私の前で缶ビールを開けた夫は美味しそうにビールを飲むと、久々に笑った。


「俺がひと足先に行って、いい席取っといてやるからな」

それが病気になってからの義父の口癖だった。

義父が取っておいてくれたいい席で、私達家族は何十年後かに再会するだろう。

だとしたら、私は楽しい土産話をこの先たくさん用意しておかなければならないなぁ、と思う。




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