ダーリンと爽子-1
ベランダに一人、物憂気に風に吹かれる爽子。
僕はその光景に見飽きたことがない。
続きが気になる小説を読む手が止まる。
虚像ではない現実のヒロインにしばし僕は別の物語を見る。
今更言うまでもないが爽子は美人だ。
千人が千人うなずくほど。一万人でも十万人でもだ。
とにかく僕が知る限り、断トツのぶっちぎりで一位だ。
「ねぇダーリン。こっちきて」
迷わず立ち上がる僕。横に立ち、爽子の肩を抱く。
柔らかい髪。ほのかな甘い香り。爽子だけの空気。
しかし、友人は誰も僕をうらやましがらない。
頭がおかしいと言うだけだ。
爽子の恋人は全部で七人。僕はその一人。
爽子は恋人をダーリンと呼ぶ。たぶん僕も含め、誰の名前も知らない。
友人はいない。女は嫉妬し、男は虜になるかボロクソ言うかしかないからだ。
爽子は誰のものでもない。爽子だけのものだ。
−
爽子の恋人は担当が決まっている。
僕の担当は歌を聞かせることだ。
「ダーリンの歌が聞きたくなったの」
爽子は時折僕の部屋を訪ねてくる。毎日だったり、半年に一度だったり。
勝手に歌ってはいけない。爽子がお願いと言ってからだ。
僕の歌は決して上手くない。いや、はっきり下手だと言うべきだ。
高い声は出ないし、変調するし、自分でもうんざりだ。
しかし爽子が求める限り僕は喜んで歌う。
「ありがとう。愛しているわ」
その一言が聞きたいために。
僕は聞き役でもある。
絶妙なところで相槌をうち、共感してうなずく。
爽子の話は限りない。他の恋人の話もする。
「ダーリンったら一人で帰ったのよ。ひどいでしょ?ね、ダーリン」
いつもこんな調子だから、どの恋人の話なのかはさっぱりだ。
「そうだね、ひどいね」
僕はとりあえずそう言う。
「でしょう?信じられないわよ」
爽子は満足気にそう言う。
内容を理解しているかどうかは重要ではない。
爽子は自分が正しいと認めてもらいたいのだ。
爽子が突然やってくるのはもう話したが、帰る時間は決まっている。
午前十二時になると、例え営みの途中でも帰る。
「楽しかったわ。さようなら」
爽子が部屋を出て行った後は、僕がたった一人残るだけ。
爽子が次にやってくるのはいつだろう。
明日かもしれない。半年後かもしれない。
しかし僕はもう二度とこないとは思わない。
何故かって−?
ピンポーン
「はい、どなたですか?」
「ダーリンのスパゲッティが食べたくなったの」
ドアを開けるとまだ幼いまなざしの爽子。
「いらっしゃい。どうぞお入り−」
僕には爽子という恋人が七人いる。
爽子はみな僕をダーリンと呼ぶ−。