うたかた-1
「王子、メールとかできるよね?」
姉が御手洗いに行った隙に、わたしはすかさず聞いた。
「ええ。仕事でも欠かせませんので…」
良かった。こちらが思っていたより世慣れている。
わたしは、手帳を乱暴に破って文字を綴った。
くしゃりと王子に手渡す。
「姉のメールアドレス。携帯のだから受信したらすぐ分かるよ。その下は、携帯の電話番号。そんでトドメの住所」
王子はしげしげと紙切れを眺める。
「もう二度と会えないなんてことにならないように。文明の利器に頼ってでも。姉のこと、好きなんでしょ?…すぐ連絡して」
「ありがとう」
王子は少し顔を紅くして、微笑んだ。
「私からも、一つお願いがあるんだけれど。その手帳の紙、もう一枚もらえる?」
*
姉が戻ってきた。
いよいよ別れの時が近付いて、誰もが少し無口になる。
「裏に車を用意してある。空港まで、送らせよう」
天井が高く、長い廊下を足音を立てて進む。
突き当たりの階段を降りてしまえば、そこはもう玄関だ。
―日本に帰るのだ。
先頭を案内するように王子が歩く。広い歩幅で進む姿はやはり大層、優雅にみえる。姿勢が美しいせいもあるだろう。
その後を、漆黒の髪をなびかせた妖精のように可憐な姉が追う。
少し離れてしんがりを務めていた、わたしの腕を誰かが掴んだ。
驚いて、顔を確認する間もなく、柱影で抱きすくめられた。
「…もう、お帰りになるのですね」
耳元で囁かれる、流暢な日本語。
キアラルーンだ。
「…うん」
わたしが仕方なく、そう呟くと再び、力を込めて抱き締められる。
「また、会えますね?」
わたしの瞳を真っ直ぐ射て、キアラルーンは尋ねる。前向きな、相手に肯定を促す尋ね方だ。
勿論、わたしは肯定を返す。希望も含めて。