ピリオド前編-10
「ああ、ご苦労様」
「姉さん、畳に雑巾掛けするの?」
あまりに的外れな質問なのだろう。亜紀はクスリと笑った。
「これはね、固く絞った雑巾なの。本当はね、出がらしのお茶を撒いて、ホウキで掃くの。
すると、細かいほこりも取れるのよ」
「へえ、姉さん詳しいじゃん」
オレが感心しきりに聞いた。 すると、亜紀は何故か悲しげな顔を浮かべた。
「結婚してね…教え込まれたの」
亜紀は結婚するまで、海産物を取り扱う会社の事務員で仕事をしていた。
その取引先である、海産物加工会社の跡取り息子に見初められて結婚した。
会社と云っても、家内工業に毛が生えたような規模の会社だ。
亜紀がこれまで、どれほどの苦労をしてきたかは想像に難しくない。
「それよりさ、アンタはこれでリビングを磨いてきなさい」
「分かった…」
「ちゃんとモノをどけるのよ。面倒臭がらずにね」
「ああ…」
突き刺さるような想いを払い、オレはモップを手に寝室を後にした。
「ハァ…終わった…」
部屋の掃除が終わったのは、日がかなり傾きかけた頃だった。
部屋中にほこりが無くなり、汚れていた食器や洗濯物もキレイになった。
そして、敷きっ放なしだった布団も、日差しを浴びてフカフカになっていた。
「姉さん、ありがとう」
見違えるような様に、オレは素直に感謝した。が、亜紀は何故だか不満そうだ。
「それだけ?」
「それだけって…?」
「朝からさんざん苦労したのよ。口だけの感謝じゃねえ」
そう云って、何やら企んだ顔でオレを除き込む。
「何が望みなのさ?」
亜紀はオレの言葉に“ン〜っ、そうねえ”と、口唇をツンと尖らせた。
(まったく、昔から変わってねえな…)
高校の頃から変わない癖を見て、心が躍る。
「そ〜だッ」
やがて考えがまとまったのか、両手を合わせ、
「久しぶりにトスカーナに行きたいわッ」
はつらつとした笑顔を向けた。
トスカーナ。それは5年前、オレの初ボーナスで行ったイタリアン・レストラン。
「ち、ちょっと待ってくれよ」
「いいじゃない。ここのところ、あんな店に行ってないからさあ」
懇願する表情にオレは折れた。
「分かったよ。姉さんには負けたよ」
「ありがとうッ!和哉」
亜紀は嬉しさからか、オレに抱きついた。