カウントダウン-1
放課後の学校。二人っきりの社会科準備室。
冬の埃っぽい空気と、窓から零れるオレンジ色の夕日は心を静めてくれる。
静寂に包まれたこの空間を支配するのは、資料のページを捲る音と―――それから二人の呼吸音。
あたしと先生だけの。
「先生キスしてよ」
資料や教科書が雑多に置かれた机が、あたしと先生の間に置かれている。
その机に二人の距離が阻まれているみたい。そう思うとなんだか癪で、あたしはぐぃと背伸びするみたいに体を伸ばして、さっきよりも距離が近づいた先生に声を掛けた。
先生の視線が、さっきまで目を通していた資料からあたしに移る。
少し茶味掛かった澄んだ瞳が、あたしだけのものになる。
「キスしてよ」
もう一度繰り返したあたしに、先生は少しだけ困った表情を見せた。
メタルフレームのプラスチックレンズ越しの瞳は、揺らめいて、動揺の色が浮かんでいる。
あたしがキスしてって言うといつもそう。
一度だけそんな瞳が好きって言ったら、より動揺の色が濃くなった。なんだか可哀想に思えて、それはもう口にしてない。
それでも、あたししか知らないこの揺らめく瞳は、今でもあたしのお気に入り。
「ここ、学校」
数秒程逡巡した後、返ってきたのは密やかな声。
それは静寂の室内で、あたしの耳だけに届いて、それだけでぞくりと心が震えた。
低くて、ぶっきらぼうにも聴こえる。でも、低音の中にもどこか甘さがあって心に染み込む声。耳元で囁かれたらきっと溶けるかも。
授業中に、要所要所を説明する抑揚を利かせた声とは違う。素の先生から発せられる低音。
この声をみんなに聞かせるのが勿体無い。そんな独占欲に駆り立てられる。
「誰もいないって」
だから、ねぇ―――と続けて懇願するように先生の双眸を覗いた。以前穴が開きそうだな、と目の前の人物に評された眼差しでいっそ焦がしてしまいたい。
十秒ほどその状況が続くと、先生は諦めたように息を吐いて眼鏡を外した。机に置いた衝撃でカチンと鳴った眼鏡の金属音に、あたしは心の中でガッツポーズを決める。あたしの勝ち、先生の陥落だ。
椅子が軋む音がして、先生が立ち上がったのが分かるとあたしはそっと瞼を下ろした。光を断たれた世界の中、先生の呼吸が徐々に近づくのがわかる。けれど、お互いの唇が触れるか触れないかの僅かな距離で、先生がピタリと止まった気配を感じた。