なにげない一日-5
「尾野?」
「はぁ、まさか昂哉くんに見られるとは」
「何で?別にいいじゃん」
おれの手にはまだタブの開いていない缶コーヒー。そして隣にはジャージ姿の尾野。
左胸に『尾野 香澄』と刺繍されている。
「良くないよ〜。居残り練習見られるなんて…」
はぁっと短い溜め息を吐く尾野。
「いいじゃん。毎日やってんの?」
「うん、夜は毎日。今日から朝練も追加したんだ」
そうだったのか。
慣れない早起きをして朝から体動かして。
それなら授業中眠くなってしまうのも頷ける。
「あたし、テニス一番ヘタクソだから…」
花が枯れたように尾野はしゅんと萎れていたが、パッと顔を上げて
「昂哉くん部活は?」
「今はやってない」
「今は?」
あ…。口が滑った。
「中学まではテニスしてた」
尾野は驚いて目を見開く。
「そうなの?どうして?」
どうして辞めたのかってことだろう。
「県大会の決勝で足捻ったんだよ。おかげで負けちゃって…」
そのせいで、ダブルスの相方に責められ、チームメイトともギクシャクして馬が合わなくなり、おれは孤独を選んだ。
「あ…、そうだったんだ。足は、もう大丈夫なの?」
「うん。ただの捻挫だったから」
「あの、じゃあね、それならね、お願いがあるの」
「ん?」
尾根が立ち止まる。おれも立ち止まって、尾野の方を見る。
長い髪の毛の毛先をクルクルと指に巻き付けながら、尾野は小さく口を開いた。
「今度、あたしの練習に付き合ってくれないかな」
尾根の言葉がすぐに理解出来なかった。
「練習に…」
「あの、あたしより昂哉くんのが絶対上手だし、部活が休みの日はあたし、市民公園に練習しに行くの!それに付き合って欲しいんだけど…ダメかな」
最後は少し泣きそうな声になっていた。
少しフリーズして段々と状況を把握する。
これはつまり、そういうことで…。
「いいよ」
「え!?」
「いいよっつったの」
「本当!?やった…!嬉しいっ!」
ぴょんぴょんと跳び跳ねて喜ぶ尾野を見て、急に恥ずかしさが込み上げて来た。
どうしていいか分からず、おれは手に持っていた缶コーヒーのタブに指を掛け素早く開けると、グイッと一気に煽った。
やっぱりブラックコーヒーは苦くて、尾野に背を向けげぇっとした。