多分、救いのない話。-8--2
「帰ってきた?」
その知らせは火口にとって唐突でだけど待ち望んでいたもので、本来ならもう心配ないはずだった。
しかし、これは予感、なのか。もしくは忠告が、心の何処かに引っ掛かっていたのかもしれない。
とにかく、だから。
「しゃちょおー」
間の抜けた声をわざと出して、自宅までまんまと来てしまった。
上司は、かつての大学の同期は、まるで火口が来る事を知っていたかのように火口の好きな銘酒を用意していた。
「飲むでしょ?」
穏やかな笑みはどこか安堵したように見える、のは、後々間違いだと気付くも今はどうしようもなく気付けない。
火口はこの酒を娘が無事見つかった祝杯程度にしか考えなかった。
この笑みは、痛みを、歪みを、狂いをすべて受け入れてしまった母の貌。
或いは、それらを悦びと変える、怪物の貌。
致命的に、気付けない。
「見つかったんやなぁ。よかったよかった」
「本当。貴方にも迷惑かけたわね」
「そんなん今更やんか。メグちゃんが無事なんやったらそんなん関係あらへん」
「ふふっ」
酒を舌に乗せる。見つかる以前のような酔うための酒ではなく、じっくりと味わう楽しい酒だ。
「何処にいたん? ベタに友達んチとか?」
何気なく訊いた、当然の問い。
彼女はそれに、悪戯っぽく笑って答える。
「そう、見てほしいものがあるのよ。貴方に」
彼女が手の中で弄んでいたものに、ようやく気付く。
ラベルのない、ディスクだった。
部屋を移動した。シアターセットのある、防音効果の高い造りの部屋だ。
「慈愛が映画好きなのよ。私は、」
「ええから」
火口は女の言葉を遮る。思い出させたくない。思い出したくない。
総天然色の鮮やかな思い出は、あの時を境に全てがネガのように反転し、おぞましい色彩となり火口を、――彼女も歪ませた。
「折角だから、お酒飲みながら見ましょ?」
彼女はラベルのないディスクと共にシャンパンとグラスを二つ持っていた。シャンパンの栓を慎重に開け、グラスに注ぐ。
黄金色の泡は、それだけで一つのインテリアのように見えた。
「何見るん?」
「いいから」
簡潔に問いを無視し、ディスクをプレーヤーに入れる。
自動で再生が開始された。
「……?」
画面がぶれている。打ちっぱなしのコンクリートのような壁が映し出されているが、それよりがさがさというノイズの方がうるさい。
『……えっと、これで録画出来てる?』
「自分の声を聞くのって、何か変な感じよね」
画面から聞こえる声と、隣から聞こえる声は、確かに同一だった。ということは、撮ってる人物は隣で酒杯を傾けている女ということ、だ。
『右の赤いランプが付いてるなら録画はされてるですよ』
「メグちゃん?」
フレームの外から聞こえた特徴的な話し方は間違いなく、慈愛だろう。
だが、いつもののんびりとした感じではなく、何処か切羽詰まったような、泣き出しそうな、それらを無理矢理に閉じ込めたような、抑揚のない話し方。
妙に無機質な声は、火口が知らない、慈愛の負の部分。
それを直接ではなく、ホームビデオのように撮られているのが、いやにざわざわと心を掻き乱す。