『動物園にて』-8
「じゃあ、そうだな」僕は少しだけ思案する「キリンについての話でも書こうか」
「いいね、面白そう」
「まだキリンがみんな首が短かったころの話。ある日突然1頭のキリンの首が長くなってしまう。そのキリンは群れのみんなから気味悪がられるんだ。でもその1頭とずっと友だちだったキリンが居て、そいつだけは、首が長くなってからもキリンとずっと仲良しだったんだ」
「それでそれで?」
「そこから先はまだ思いつかないな。まあ、今はとにかくキリンを見ようよ。絵を描くためには実物をよく見ておくことが必要だろ?」
「そうだね」
それから僕らはキリンをじっと眺めた。
僕はキリンを見ながら物語の続きを考える。もし自分が、ある日突然首が長くなってしまったたった1頭のキリンだったらどんな気持ちだろう。もし自分が首の短いキリンで、自分の親友の首が突然伸びてしまったらどんな気持ちだろう。
理穂がキリンを見る目は確実に僕とは違っているということが、理穂の目を見れば分かる。きっと理穂は今物凄い勢いで頭の中にキリンを絵として記録している。成文化することなく視界をそのまま保存する機能がきっと理穂にはある。僕には無い。
理穂は僕にないものを沢山持っている。でもだからこそ傷つきやすい。何かを持っている、というのは何かを持っていないということの完全な上位互換ではない。遠くまで見える目は、見たくも無いものも写すだろうし、多くのものを想える心は、多くの悪意を受けとってしまう。
僕は理穂と違って鈍感で、平凡で、だから理穂よりも強い。
「ねえ理穂」
僕は言う。僕の左手と理穂の右手はまだ繋がれている。
「僕たち、一緒に暮らさないか?」
自分で思ったより冷静な声でそれを言うことができた。
「え?」
一瞬、間を置いてから理穂が反応する。僕はそれ以上何も言わずに理穂の言葉を待つ。
「それって、ひょっとしてプロポーズなのかな?」
理穂はそれをちょっとした冗談にしようと、おどけた調子で返してくる。
「そう受けとってもらってもいいけどね」
僕は真剣な声でそれをちゃんと真っ直ぐに軌道修正する。
理穂は次の言葉が喉の辺りにひっかかって上手く出てこないみたいだ。回線が込み合ってるのかもしれない。
「真面目に言うとさ、さっき僕はロクに考えもせずに大丈夫、なんて言ったけど、やっぱり一人で絵描きを目指すなんて大変なことだと思う。上手くいかないかもしれない。だから現実的に、理穂を支える役は必要だと思う。それで、僕としてはその役を僕以外の誰かに譲るつもりはさらさら無い」
「うん」
理穂はただ頷く。
「それに、うん。何て言うか、つまりさ」
変に接続詞や感嘆詞ばかり口から出てくる。本心の一番深いところにある言葉だ、取り出すのには時間がかかるし、他の余計なものがくっついてくるのは仕方ないか。
「つまり、僕は理穂のことが好きなんだよ」
「うん」
理穂はただ頷く。
左手に理穂の体温を感じる。理穂の、弱いけど確かな意思のこもった握力を感じる。
僕と理穂は、周りから見れば恋人に見えるのかもしれない。でも今のところ、僕と理穂はお互いのことを恋人というくくりにはっきりと規定してはいない。
理穂が僕のほうを向いて、口を動かそうとする。一瞬後には、僕らの関係は今までとは少し違うものになるだろう。