やわらかい光の中で-75
先日、裕美と軽井沢へ彼女の好きな月景色を見に行ってきた。それは、やはり千鶴が好きだった月スポットと同じ場所だった。
黄昏時の薄暗いブルーの空に、少しかけた月が大きく煌々と輝いていて、月だけ飛び出しているように彼には見えた。
岩山に囲まれたその景色は、CMに出てくる張りぼてのような不自然な情感を湛えていた。
その時、彼は裕美には内緒で千鶴のことを思い出していた。
「彼女はこの月に感動したのだ」と。
彼は千鶴の置いていった月の写真集を引越し用のダンボールに入れようとして止めた。
その写真集は彼も好きだが、これは千鶴との思い出の品だ。あまり細かいことを気にする性質(タチ)ではないが、それは捨てて、それと同じ写真集になっても、新しい月の写真集を裕美と選ぼうと思った。
そうすれば、同じ写真集でも慎治と裕美の2人の物になる。
そこに裕美の知らない慎治の思い出が少し加わるだけだ。
裕美との結婚の話が進むにつれて、1つだけ気がついた事がある。
慎治は、千鶴の事が好きだった。愛していたといっても良いだろう。
しかし、その愛は常に不安の中にあったのだ。
その不安はどこから来るもので、どうすれば解消できるものなのか、付き合いだした頃から、別れるまで答えは出せないままだった。彼がその得体の知れないモヤモヤから目を逸らしていたからだ。
しかし、裕美と2人で過ごすようになって、彼は気がついた。
彼は、千鶴がいつ自分の目の前から消えてしまうのか、不安で仕方なかったのだ。
彼女と想いを通わせるようになった瞬間、自分が彼女の婚約者から彼女を奪ったように、彼女はある日突然、自分の前から消えてしまうのではないかと思うようになっていた。
そしてそれを思うと、その先に見知らぬ千鶴の婚約者の顔がチラつくのだ。
その婚約者は千鶴から別れ話をされた時、どんな気持ちになったのだろうか?
結婚まで約束して別れたのだから、普通に恋人と別れるのとは違うはずだ。それは、気持ちの問題もさることながら、世間的にも頭を痛めることは多い。
自分のプライド云々を語るべきではないのかもしれないが、それを考えずにはいられなかっただろう。そしてそんな冷静な自分を蔑んだことだろう。少なくとも自分は、誰にも口外はしないが、そう思う気がした。
千鶴にしても同じことだ。彼女が婚約を破棄した過去は2度と消えることはない。彼女も彼女で傷ついていたはずだ。
慎治は、心のどこかで見知らぬ婚約者に同情していた。それと同時に千鶴に対してネガティヴな責任感を持っていた。
自分が千鶴に近づかなければ、その彼を苦しめる事もなく、千鶴にそんな過去を引きずらせる事もなかったのだと、心のどこかでその罪を意識していたのだ。
彼には、千鶴への気持ちや感情を不自然に抑える癖があり、千鶴に何か要求することなどなかった。それは前の婚約者に遠慮していたところがあったのかもしれない。千鶴への罪の意識もあったのかもしれない。そして、そうして過ごす事に慣れてしまってもいたのだ。
付き合うまでの一連の責任感から、簡単に千鶴と別れるわけにはいかなかった。
しかし、その偽善者的な責任感が千鶴への想いを歪めていた。
彼女を失う不安感が彼女を愛している事を教えてくれた。婚約者への遠慮が彼女への愛情を抑制していた。彼女への罪の意識が2人の距離を遠ざけた。
それらが千鶴との関係に歪を作り、結果的に彼女への気持ちを冷めさせる原因になってしまったのだ。