やわらかい光の中で-74
会社の高沢にも話した。
「そうか。そうだったのか。そういう人がいるなら、ちゃんと言っておいてくれれば良かったのに。心配しちゃったよ。」
と同じ台詞を何度も繰り返したが、祝福してくれていることは確かだった。それからすぐに杉山が祝いの席を設けてくれた。
彼は前回の席で「独身でもいい」と言っていたが、慎治が結婚すると知ると「本当によかった。内心かなり迷っていたんですよ。」と本心を明かした。
裕美にアメリカ行きが決まったら、ロス郊外のサーフポイントのそばに住むことになると思うと若干興奮気味で話したが、彼女の反応は鈍かった。
ロスの波にはそれほど興味がないのかと思ったが、「アメリカ行きが決まったら真剣に聞くよ」とあっさり言われ、元来お調子者の自分の気が引き締まった。
辻元にも2人の事を報告した。
慎治は彼を驚かせたいと思い、敢えて裕美のことには触れずに彼を誘い出し、裕美を別のところで待たせておいた。しかし最初の乾杯が済むと彼はすぐにこう言った。
「ユミと付き合うことにでもなりました?」
いつもの適当な調子だった。変に勘の鋭い辻元なら慎治のこの呼び出しが、裕美絡みであることくらい察しがついたのだろうと諦めたが、まさか結婚まで決まったとは思わないだろうと慎治は踏んでいた。ところが、2人の婚約を伝えると
「そうなんだ。ユミ、彼氏いなかったんだぁ…それは意外だったな…」と2人の婚約には驚きもせず、裕美に彼氏がいなかったことにその感心は向けられた。
少し落胆した気持ちで待たせていた裕美を呼ぶと、辻元は、2人は合うと思ったから紹介したのだ、付き合いだしたら結婚するのは時間の問題だと思っていたと付け加えた。
そうであれば、裕美に彼氏がいるかどうかくらいはきちんと確認してから紹介しろと、慎治が詰ると、相変わらずの適当な調子で、辻元は笑って逃げた。
そんな辻元を悔しいが快く思いながら、慎治は幸せそのものだった。
7月いっぱいで慎治のマンションの契約が切れることもあり、2人で新しいマンションを借りることにした。
裕美も8月に部屋の契約が切れると言っていた。
9月からはそこで2人で生活することになる。
千鶴に同棲を提案されたのが、前回のマンションの更新時期の少し前だったとしたら、もしかしたら新しい部屋を千鶴と借りて、そのまま結婚していたかもしれない。
彼女に合鍵を渡そうとした時、仕事が忙しくなければ、彼女の誕生日に合鍵を渡せていたのかもしれない。
そしてそのまま、流されるように一緒に暮らしていたのかもしれない。
もしそうだとしたら、サーフボードの扱い方を厳しく教えなくてはならなかった、と一瞬思ったが、次の瞬間、過去にあったかもしれない未来のことを真剣に考えた自分を鼻で笑った。
千鶴は多少がさつなところのある女性だった。慎治はそのがさつさが気になっていた。
1度、彼の部屋を掃除してくれたことがあったのだが、その時に大切な板を怪我させられた。
大した傷ではなかったので自分で直したのだが、引きつった笑顔で「掃除は自分でやるからもうしなくていいよ」と言ったのを覚えている。
今思えば、そのすぐ後に自分の部屋の更新があり、それから程なくして千鶴の部屋の更新だった。
彼女に同棲を提案された時、自分が更新したばかりだからということを理由に断ったが、本当は単純に一緒に住みたくなかっただけだったのかもしれない。
彼女に相談せずに更新を決めたのは、それを理由に同棲を断れると本能的に判断したからだったのだろう。だから「更新する前に一言いって欲しかった」と彼女に詰られた時、ひどく後ろめたい気持ちになったのだ。
「やっぱり、縁がなかったんだな」
彼は引越しの荷物を整理しながら、半年前に別れたばかりの彼女の事を遠い思い出でも思い返すように懐かしんでいた。
本棚を整理していたら、月の写真集が出てきた。