やわらかい光の中で-72
背中に温かい外灯の明かりを感じた。
彼の体が彼女に影を作り、その影のせいで彼女の顔はよく見えなかった。
彼は辺りを包み込む光から、彼女を守るような姿勢で止まっていた。
視界の隅に優しくも神々しく輝く光を彼は強く意識していた。
「…裕美ちゃん…オレと結婚してみない?」
月を一緒に見に行こうと、誘った時と同じような軽い口調で彼は言った。
その時、なぜそう言ったのかは自分でもわからない。
ただ、彼女に映った自分の影を見ていたら、この桜の花びらが反射する静かな光が彼女を現実の世界から奪い去っていってしまうような気がしたのだ。
なんとなくそう感じただけのことだった。
それを言葉で表現できる程、確かに感じていたわけではない。
一瞬そんな言葉が頭をかすめただけだったのかもしれない。
彼は何か言って彼女を引きとめようとした。
そうした方が良い気がしただけのことだ。
そして、出た言葉がそれだった。
背中に感じる輝きは一層強さを増して近づいてくるように思えた。
その輝きと対照的に、彼の影に覆われた彼女は、どんどん遠のいていくように感じた。
彼は懸命にその目を見開いて、彼女の存在を確かめていた。
頭の中は張り詰めた緊張感を忘れ、思考力を失い、周りのオレンジ色に征服されていた。
暫く慎治は同じ姿勢で彼女を見つめていた。
しかし彼女は彼を見ることも体を動かすこともなく、ただじっと同じ姿勢でそこに座っているだけだった。
「セックスもしたこともない女性にプロポーズしようなんて、オレもどうかしてるよね。」
体をベンチの背もたれへ戻した時には、彼も現実の世界に戻っていた。
向こう岸の明かりが優しく鮮明に彼の目に届いた。
半分は冗談で取ってくれただろうと、勝手に解釈しながら、見るとなく遠くの明かりを見つめた。
彼女が視界の片隅で自分の方をぼんやり眺めているのを感じた。
彼はそれを気にも留めずに遠くを見続けた。
オレンジ色の光は、相変わらず柔らかく輝いていた。
「…それも…いいかもね…。」
どのくらいの沈黙が2人を包んでいたのだろう。
彼の視線の先を見つめながら、先に口を開いたのは彼女だった。
その言葉に驚いたのは彼の方だ。
しかしその彼の心中とは裏腹に、彼の体は至極落ち着き払っていた。
彼が視界の片隅で彼女を確認すると、彼女は彼の視線の先よりもっと遠くを見つめて穏やかに微笑んでいた。
ぼんやり霞む向こう岸の明かりは温かかった。
それと対象的に川縁の夕暮れは、冬の名残をその風に乗せて伝えていた。