やわらかい光の中で-71
でも結婚とそれは別だ。
アメリカに行けなくてもそれはそれで人生だ。
目の前のこの子とのんびり時を重ね、2人の気持ちが重なり合った時に結婚という形をとるのでも良いではないか。
始まり方はどうであれ、今ここにある気持ちを大切にできればそれでいい。
彼は頭の中がすっきりと整理されていくのを感じていた。
子供のように傲慢に結婚に拘っている自分をどこかへ追い遣ろうとしていた。
「今日は夕日がキレイそうだね。」
慎治がバックミラーに映る裕美を見ながら言うと「そうだね」と、かわいらしい声で裕美が答えた。
車内に流れる音楽と、微かに聞こえる車のエンジン音が、奇妙な調和を響かせながら彼の耳に届いた。
バックミラー越しの空は、一層、美しく輝いて見えた。
◆
タバコを吸い終え、車を降りると少し肌寒さを感じた。
半袖のTシャツの上に直接ダウンジャケットを羽織ると、自分の体温で体が暖められ、どこか懐かしい温もりに包まれた。
桜並木の遊歩道の外灯は点灯していた。
いつもの通り美しく幻想的な空間を演出していた。
少し歩くとベンチがある。彼がそこに座ろうと言うと、彼女は無言でその隣に腰を下ろした。
裕美は川の向こう岸を見たり、頭上の桜の花びらを凝視したりしていた。
先ほどまでの緊張感から解き放たれ、リラックスして話をすることができた。ついさっきまで、自分はいったい誰と過ごしていたのかと思うほど緊張していた。その緊張から完全に解放された今、彼はぼんやりとした心地よい大気に包み込まれていた。
桜の花びらに反射された柔らかいオレンジ色の光が、彼にそう思わせていたのかもしれない。裕美との他愛のない、どうでもいい会話がそう感じさせていたのかもしれない。彼は2人でいることを楽しんでいた。嬉しかった。
「さっき言ってたさぁ…軽井沢の月の所、今度連れてってよ。見てみたいなぁ…蒼く輝く綺麗な月…。」
頭上の桜を見たまま、車の中で裕美が言っていた彼女の好きな月景色の話を思い出し、慎治がぼんやりと言った。もしかしたら、千鶴が好きだった月スポットと同じかもしれないと思っていた。
「そうだね。今度一緒に行こう。」
向こう岸の明かりを見つめたまま、彼女が囁くように答えた。
辺りは一層暗さをまして、外灯はその輝きを強めていた。
時折、ほんのり暖かい風に混じって、小川を流れる冷たい水を思わせる空気が、ベンチに座る2人の頬まで運ばれた。その冷たい空気の筋は、春先の生命の息吹を思わせた。
慎治は彼女を視界の片隅で強く意識していた。
そして彼は、彼女の微妙な表情の変化を感じた。
なぜ彼女の表情が変化したのか、彼には理解できなかった。
周りの柔らかい光が、彼にそう感じさせただけだったのかもしれない。
彼は反射的に体を起こし、彼女の表情を確認するため、裕美の顔をまじまじと覗き込んだ。
どのくらいの時間、彼女の顔を覗き込んでいたのかはわからない。
彼女は慎治のその視線に気が付きながらも、無反応だった。
そんな彼女になんの疑問も感じていない自分が不思議だった。そして彼女を覗き込んだまま、じっとしている自分も不思議だった。