やわらかい光の中で-70
「…なんかわかる…。
一日中同じ所にいても、同じ景色ってないよね。」
のんびりした自然な口調で彼女が続いた。その言葉に嬉しくなり、彼も付け加えた。
「同じ季節の同じ時間にいても、やっぱり少し違う気がするよね。」
自然と笑みがこぼれた。
彼女も同じ気持ちでいてくれたら嬉しいと思いながら、それを確認する勇気がなく、仕方なく目の前の桜を見るとなく見続けた。
穏やかな車内の雰囲気の中、2人の時は優しく流れていった。
そして不意に裕美を紹介された日に、辻元が彼女に彼氏がいるかいないかは知らないと言っていたことを思い出した。今更とは思ったが、彼女にそれを確認せずにいられなくなり、おずおずと確認した。するとやたらと恥ずかしくなり、その気持ちを追い遣るように彼はこう言った。
「もう一服したら、行こうか。」
その言葉に彼女は桜を見たまま小さく頷いた。
彼は煙草に火を点けながら、後ろを振り返り、オレンジ色に染められた景色に見入っている裕美を見ていた。
バックミラー越しに見える夕焼け空は、温かく美しかった。
◇
温かいオレンジ色の夕日を感じながら、裕美の事を漠然と考えていた。
彼女のことを好きになっている自分に気が付いていたが、その想いは千鶴の時とは大きく違っていた。
彼女と「結婚したい」という気持ちはあったが、それが彼女でなければならないのか、そうでないのかははっきりしなかった。
ただ「結婚したい」という気持ちは、アメリカに行きたいからだということは、はっきりしていた。
「結婚したい」と思うようになり、裕美のことを考えるようになった。そして彼女との結婚を勝手に想像し、勝手に幸せな気持ちになっていたのだ。
しかし、彼女にも彼女の人生がある。
今まで何を思って、どのようにして生きてきたのか、これから先の人生をどう生きて生きたいのか、彼は知らない。
彼女と結婚するということは、彼女の人生と自分の人生が大きく交じり合うということだ。家族になるということなのだから。
彼は自分のことしか考えず、勝手に彼女との結婚を妄想し、見切り発車していたに過ぎない。
自分の脳裏に引っかかっていた何かが更にはっきりしてきた。「結婚」は自分の気持ちだけではどうにもならないのだ。
千鶴と自分がそうであったように…。
やはり、千鶴は結婚したかったのだろうと思った。結婚したいと慎治に詰りたくもあったのだろう。
それを許さなかったのは、自分だ。
彼は千鶴とは結婚したくなかったのだ。その理由は今もまだわからない。ただ、漠然と千鶴との結婚は、彼の中でありえなかったのだ。
それを彼女は肌で感じていて、慎治の気持ちが変わるのを辛抱強く待っていたのかもしれない。
それでも、もう慎治の気持ちが変わることはないと思い、別れを告げたのだ。
なぜ千鶴ではいけなかったのか、彼の中にある不確かな、しかし確実に存在したその不誠実な理由を、いたずらに探す必要など彼にはもうなかった。
それよりも今、目の前にいる裕美のことを、彼は大切に思い始めている。その事実の方が彼にとっては重要だった。
自分の中で至って傲慢な理由で結婚を考え、そして始まった気持ちだ。
それでも彼女を大切に思う気持ちは、確かに彼の中に存在した。
アメリカでサーフィン三昧の生活もしたい。
出世もしたい。