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やわらかい光の中で
【大人 恋愛小説】

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やわらかい光の中で-52

「3年前、慎ちゃんの部屋の前から逃げた私を、慎ちゃんは、追いかけてきてくれた。
 …ベルトのバックル、はずしたままで、後ろからカチャカチャ金属音が聞こえた。」 彼女は俯きながら、感情を押し殺すように穏やかに続けた。
「…でも昨日の夜は追いかけてきてはくれなかった…。
 私、何度も振り返ったんだよ。
 でも、慎ちゃんの足音は聞こえなかった。
 …もう、それが何よりの答えだよ。…今日、こうして来てくれるとは思わなかったけど。
 来てくれて嬉しいけど。
 これで、最後にしよっか。」


 目の前の去り行く彼女を引き止める何か適切な言葉を探したが見つからなかった。
 しかしそれが無意味なことにも彼は気が付いていた。

 彼女の言葉は恐ろしい程に正確で、自分でも理解できなかった、いや、わかりたくなかった彼の心の中を見透かしていたからだ。





 3年前、慎治の部屋の前から逃げた彼女を追いかけた時、彼は追いかけた後のことなど、何も考えていなかった。
 とにかく彼女を捕まえて、抱きしめることしか彼の頭にはなかった。
 それから後のことなど、何も頭を過ぎらなかった。

 しかし昨日の彼は違った。
「慎ちゃん、私と結婚する気ある………?」
 と言い残した彼女を追いかけなかったのは、追いかけた後のことを考えたからだ。
 3年前と同じように、追いかけて抱きしめることは簡単にできた。
 しかしその後、抱きしめた彼女にかける言葉を彼は見つけられないでいた。
 ひと言「結婚しよう」と千鶴に伝えることは、彼には容易いことではなかった。

 だから、彼女を追いかけられなかったのだ。
 だから、ただ独り部屋で酒を煽ったのだ。

 彼女が言うように、既にそこに答えはあったのだ。
 今ここで、彼女を繋ぎ止める適当な言葉をみつけたとしても、それは一時の気休めにしかならない。
 千鶴は慎治にとって、生まれて初めて好きになった女性だった。
彼女と心を通わすことができた時の喜びは、今でも色鮮やかに思い出すことができる。
振り向いてくれないと知りつつも、できるだけ長い時間を彼女と過ごしたいと切望した。
彼女の震える肩を初めて腕の中で抱いた時、心の底から彼女のことを幸せにしたいと思った。1人の女性の存在にそんな感情を抱いたことは、千鶴に出会うまで1度もなかった。

 彼女との想い出は、今でもそしてこれから先も慎治の中で忘れ去られることなく、鮮明に蘇ってくる記憶の1つなのである。
 だからこそ、初めて彼女を「見つけた」時から、ずっと彼女のことが好きだという気持ちに嘘はないのだ。そして、これからもそう言い続けられる自信はある。

 しかしそれは彼女と結ばれ、3年の月日が過ぎ、少しずつ何かが変化していた。
 千鶴は慎治が思っていた以上に強く、たくましい女性で彼が思っていような可憐で儚げなだけの女性ではなかった。
 しかし、それはそれで彼も受け入れていた。
相手が自分の思うような女性でないことなんてよくある事で、そもそも自分の思うままの相手なんて、それはそれで不自然だ。2人の問題はそこにあるわけではなかった。


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