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やわらかい光の中で
【大人 恋愛小説】

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やわらかい光の中で-50

 部屋に入ると、お笑い芸人と女性タレントが、どこかアジアの街を紹介する旅行番組がやっていた。
 彼はベットの前のいつものポジションに腰を下ろすと、大きく伸びをした。
 台所からビールでいいかと聞く彼女に答えると、彼はテレビの中の芸能人をぼんやり見ながら笑った。しかし、何の話をしているのかは、全く頭に入ってこなかった。

 簡単なつまみとビールを運んできた千鶴に「ありがとう」と言いながら、彼はまだテレビの中を見ていた。

「少し早いけど、ご飯にする?」
 と、千鶴が聞いたのでテレビを見たまま言葉もなく彼は頷いた。

 暫くして、台所からトントントンと心地よいリズムを刻む、包丁の音が聞こえてきた。
 千鶴は料理が上手い。
 初めて、彼女の手料理を食べさせてもらった時、感動したのを覚えている。酒の肴も、殆ど彼女の手作りだ。料理に関しては、今どき珍しくまめな女だ。
 こんな風に毎日彼女の刻む包丁の音を聞きながら、生活するのも悪くないはずだと思いながら、テレビを眺めていた。

 その心地よさに、いつしか彼は眠りについていた。

 気が付いた時には、サザエさんが始まっていた。
「ご飯食べる?」
 千鶴が優しく聞いた。
 彼が小さく頷くと、彼女は台所に戻り、作った料理を温め始めた。
 慎治はその後姿をじっと見つめながら、気が抜けて生温くなったビールを、一口だけ飲み込んだ。

 食事を終え、ビールを飲みながら2人は日曜日のファミリー向け番組を静かに観ていた。
 大して面白くないことに小さく笑い、大して面白くないのに、その番組を観続けていた。

 いつもと変わらない、2人の光景だった。
 このまま、同じ時が流れ続けてくれればいいと慎治は思った。
 番組が終わるのを合図にどちらからともなく求め合い、その後、落ち着くまで体を休め、その日のうちに彼は自分の部屋に帰る。
 来週も再来週も、そのまた次の週も、ずっと変わらず同じ時が流れればいいと、彼は思っていた。
 しかし、もう、そう上手くはいかない事はわかっていた。





「…慎ちゃん。」
 テレビの画面を観たまま、千鶴が口を開いた。
「私のこと、いつから好きじゃなくなっちゃったの?」
 穏やかな口調だった。あまりにも穏やかな声だったので、一瞬、その言葉の意味を理解できなかった。
「今でも好きだよ。」
 千鶴を見つめながら、慎治が答えた。
「そうなんだ。じゃぁ、ただ結婚したくないだけ?」
 千鶴は慎治に向き直って言った。そして、彼に答える隙を与えずに続けた。
「付き合い始めた頃、30位までには結婚したいッて言ってたよね?
 …慎ちゃん、もう32歳だよ。慎ちゃんの会社、海外に転勤するには、結婚してないと駄目なんでしょ。
 海外に行きたいから、結婚はしたいッて言ってたじゃない。
 もう、あれから3年以上経つんだよ。
 …私ももう、34になっちゃったよ。」

彼女は一気にまくしたてたが、一瞬自分でも驚いたような顔をして言葉を飲み込んだ。

「…ごめん。こんな言い方するつもりじゃなかったんだけど…。」
 意識的に穏やかに話そうとしている口調だった。
 彼も返す言葉がなく「ごめん。」と小さく呟いた。
「どうして謝るの?」

 テレビから呑気な笑い声が聞こえた。
 その幸せそうな笑い声が慎治の頭の中で鳴り響き、その声の主のタレントを心の底から疎ましく思った。


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