やわらかい光の中で-49
◇
次の日の午後、目が覚めると同時に重苦しい空気が彼を襲った。
昨日の千鶴とのやり取りを思い出していた。
そしてその後、独りで飲んだ酒が彼の体にかかる重力を倍にしていた。
千鶴に会いに行かなければいけないと思ったが、彼女に何を話せばいいのか、わからなかった。話し合いをすれば、面白くない結果になる気がした。しかし、このまま何もしなくても、それは、同じ結果になるだろうと思った。
彼女のことを好きな気持ちに嘘はなかった。
でも結婚となると、尻込みする自分も同時に存在した。
結婚するのが嫌なのか、千鶴と結婚するのが嫌なのか、自分でもはっきりしていなかった。
…昨日の晩までは…。
高沢に結婚を促された時、結婚すること事態に大きな抵抗は感じなかったと思う。
ところがその相手が千鶴となると、それはできないと反射的に思った。
それは「千鶴との結婚」となれば、現実味を帯びてくるが、単純に「結婚」ということだけあれば、自分にとって、リアリティに欠けるからかもしれないと、最近は考えるようになっていた。
なんとなく「結婚」という現実から逃れたい気になっているだけなのではないかと思っていたのだ。だから案外、千鶴から結婚を迫られるようなことがあれば、いろいろ考えることはあるにせよ、結果的には、自分は幸せに彼女と結婚するのではないかと思ってもいた。
なぜなら、結婚を迫られて仕方なく結婚したと言っていた、佐久間のことをある種、羨望の眼差しで見ていた自分もいたからだ。心のどこかで、本当は自分も結婚を望んでいる、もしかしたら、それを望んでいないのは、千鶴の方なのではないか、と疑ったことさえある。
しかし昨晩、彼女が放った言葉に彼は答えたくないと瞬間的に思った。
それは「千鶴との結婚」が、やはり嫌なのだと実感させられる1件だった。
自分のどこかに、結婚を望む気持ちがある事は薄々気が付いていた。しかし、その相手が千鶴ではどうもいけないらしい。単純に「結婚」が現実になる事を避けているわけではない気がした。
千鶴のことを好きではなくなったと、認めることができたら逆に楽だった。しかし、彼の中で彼女を想う気持ちに嘘はなかった。
今でも、千鶴のことが好きだ。
初めて彼女を見つけた時から、ずっと、今でも同じ気持ちで彼女を好きだ。
それでも彼女との結婚は、彼の中で何か障害がある。
その理由が、彼には皆目検討つかなかったのだ。
◇
気が付くと、夕方になっていた。
佐久間の結婚の経緯を話した、昨晩の自分を心の底から後悔していた。
結局、小刻みに肩を揺らしていた千鶴をそのまま放っておくこともできず、彼は彼女の部屋に行くことにした。
彼女の部屋のドアをノックする前に、深く息を吸った。
それから、肺に入った空気を全て吐き出すように、長くその息を吐いた。そして1つため息をついてから、心を決めて、ドアを優しく叩いた。できるだけ面倒なことになる前に、帰るようにしようと決めていた。また、そうできるように祈っていた。
ドアの向こうで、明るい千鶴の声がした。
いつものように勢いよくドアが開くと、中から体を伸ばすような姿勢の彼女が、笑顔で彼を迎え入れた。