やわらかい光の中で-30
■第2部
□サクラ ナミキ―理由
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窓の外の黄色く色づき始めた銀杏の木を眺めながら、内藤慎治は緊張した面持ちで第3会議室のドアの前に立っていた。
そのドアノブに手をかけた時、自分の手が軽く汗ばんでいるのを感じた。
昼飯を終え、デスクに戻ると高沢部長が近寄ってきて、周りの目を気にするように小さな声で「3時に第3会議室へ来い」と言った。彼が小さく、「はぁ…」と、頷くと高沢は午後の役員会議の資料を小脇に抱えて、その場を立ち去った。
おかげで、それからの仕事は殆ど手につかなかった。
部長に呼び出しされる程の失態を起こした記憶はないが、自分の気付かぬところで、何かが起きていたのかもしれない。
そう思いながら、問題が起きそうな案件を必死に考えた。
しかし思い当たる節はなかった。
そして残念ながら、誉められるようなことも何も思いつかなった。
慎治はアメリカに本社を持つ、大手のソフト会社の日本本社でソフトの企画開発をしている。
入社10年目にしてグループリーダー、いわゆる課長に相当する地位に就いていた。
同期の中で最初にこの地位に就いたが、今では特別なことでもない。
同じ地位にいる同期は他にも何人かいるのだ。
ふと毎月行われる同期会で、最近、噂になっている話を思い出した。
それはアメリカ本社で、世界的規模のプロジェクトが立ち上がる、というものだ。
各国の優秀な若手をアメリカに集結させ、新製品を全世界一斉に打ち出すという話だったが、その細かい内容について知る者は誰もいなかった。
そもそも、その話が本当なのかどうかも誰も知らないという、あくまで噂話に過ぎないものだ。
しかし、もしその話が本当ならば、高沢に呼ばれたのは、その話を自分にするためなのではないとか、という期待が慎治の頭を一瞬過ぎった。
しかし、それはあり得ないことだった。
すると、再び自分が呼び出しを受けた理由が頭を擡げた。
彼がこの会社に入社を決めた理由は、至って安易なものだ。
アメリカに総本社を持つ彼の会社は、アメリカ国内に6つの本部を持っている。
全世界の中枢を担っているロス郊外にある総本社、主に資産運用や証券などを含めた組織の大蔵省的存在のニューヨーク本部、残りは、アメリカの首都であるワシントンDC本部、シカゴ本部、各国の技術の要的存在のサンフランシスコ本部、それから、創業当時からあるサンディエゴ本部である。
サンディエゴは、ロスにある総本社ともアクセスが良いという理由から、アメリカ国内における実験的な技術開発の場ともなっている。
彼が学生の頃、8つ離れた一番上の兄が仕事の都合で、サンディエゴに住んでいたことがある。
その時、慎治は休みを利用して兄の家に1ヶ月ほど世話になった。
サーフィンを趣味としていた彼は、特別な観光をすることもなく、毎日、近くのポイントに波乗りをしに行っていたのだが、サンディエゴの広くてキレイな海は、彼を虜にした。
そのまま居座ってしまいたくなる程、帰りたくないと思ったが、新婚だった兄に煙たがられ、半分追い出されるようにサンディエゴを後にした。