やわらかい光の中で-23
◇
「さっき言ってたさぁ…軽井沢の月の所、今度連れてってよ。見てみたいなぁ…蒼く輝く綺麗な月…。」
頭上の桜を見たまま、能天気な調子で慎治が言った。
「そうだね。今度一緒に行こう。」
彼の能天気さを心地良く思いながら、呟くように答えた。
そして、向こう岸の明かりをぼんやり見つめたまま、昔よくチェックしていた月のサイトを思い出していた。
そのサイトでは月の出る時間と日の入りの時間が調べられる。
月は出始めと沈みかけが、一番大きく美しく輝くと彼女は思っている。更に、黄昏時より少し早目の時間に上り始める月が、彼女は好きだった。
彼を軽井沢に連れて行く日は、そのサイトと天気予報を確認しておいた方がいいなと、彼女は漠然と思った。
そして自分の興味も2人の話も、すんなり変わったことに安堵したが、同時に彼の口からサーフィン以外の誘いの言葉が出てきたことに驚いた。
驚きながらも、なんとなく嬉しくなり、微笑が浮かんだ。彼女のその表情の変化に、彼が敏感に反応し、何か答えを求めるように、彼女の顔を覗き込んできた。
その視線を避けるように彼女は俯き、必死にその表情を隠そうとした。
頬が赤らんでいくのを感じた。
慎治の体が裕美に影をつくり、先ほどまで彼女を包み込んでいた、柔らかいオレンジ色の光が目の前から消えた。
視界の隅で、微かに温かく輝く光を彼女は目だけで追い求めた。
先ほどまで彼女を包んでいた輝きをとても遠くに感じていた。
「…裕美ちゃん…オレと結婚してみない?」
暫く裕美の顔を覗き込んでいた慎治が、唐突に、しかし、この上ない程に穏やかに囁いた。
彼の言葉の意味が咄嗟に理解できなかった。
いや、理解しようとしていなかったのだろう。
赤らんでいく顔を抑えることができなかった。
抑えようと必死になると、更に頬が熱くなった。
外灯が、遠く霞んでいく気がした。
慎治は裕美を見つめたままだった。
ふと、彼の言葉が裕美の脳に到達した。
彼の言葉の意味を理解した時、彼女の体はなぜか硬直し、目だけは水を得た魚のように泳ぎまくった。
熱くなった頬は一気に冷め、彼の言葉が頭の中で何度も繰り返された。
外灯は、遠く霞んで見えなくなった。
「セックスもしたこともない女性にプロポーズしようなんて、オレもどうかしてるよね。」
慎治はゆっくりとその体をベンチの背もたれに戻し、どこか遠くを見つめながら自分に話すように言った。
そしてそのまま、その口は閉ざされた。