やわらかい光の中で-16
いつからそう感じていたのかは自分でも定かではないが、今の彼女には、彼いつもと違うと思った理由がはっきりわかっていた。
彼と知り合ってまだ日は浅いが、少なくとも今までの彼は、裕美の細かな視線の動きにもそれ相応に反応していた。
例えば、車を走らせながら、彼女が興味を持った看板などに視線を動かせば、たとえ、別の話しをしていても、彼もその看板の方へ目をやった。同じく、その看板に興味を持てば、何か一言付け加えたりもした。彼女が何も言っていなくても、だ。
感じたことが同じだったりすると、彼女も嬉しく思った。
運転しながらでも彼女の顔を良く見ていたし、それに慣れなかった裕美は、あえて彼の方を向かなかったりもした。
今日のように、彼の顔を覗き込むような視線を送ったことは今までない。
なぜなら、それ以上に彼が裕美を見ていたからだ。
慎治の視線と自分の視線が、絡み合うのを避けるように、彼女はいつも彼の視線がどこか違うところに移ったことを感じてから、彼の方を向いていた。
裕美は、彼の視線を常に強く意識していたのだ。
更に上手く表現できないが、いつもの彼は明確だ。話していても何かをしていてもはっきりとした言動をする。
今日の彼は、どことなくフワフワソワソワした捉えどころのない物体のような雰囲気を醸し出していて、いつものような漠然しながらも確実な存在感とか意識などが感じられない。
辻元に紹介された日のことは、それほど詳しく覚えていないが、少なくとも、一緒に海に行くようになってからの彼は、裕美のことをそれなりに注意深く見ていたし、彼がそこにいる事がはっきりしていた。
海の中での彼がどうであったかは全く気に留めていなかったが、移動中や食事中の彼は、彼女の視線をきちんと目で追っていた気がするし、彼女に意識が向っていたように思う。
しかし、今日の彼は違う。
彼女が桜を見ていようが、隣の車の中を覗いていようが、慎治の様子を注意深く見ていようが、全く無反応なのだ。
「5時半になったら、出ようか。」
煙草の吸い殻を灰皿に押さえつけながら、慎治が言った。
「いいよ。」
車から出る時間を、延ばそう延ばそうとしている彼の行動がかわいらしく思えて、彼女は思わず笑い声交じりで答えた。
その答え方に何か伺いた気な様子で彼が裕美の顔を覗き込んだので、彼女は続けた。
「そのライトアップされた桜がホントに好きなんだね。」
彼の目を見て言った。
「あっ…あぁ…。」
彼は不意を疲れたような顔をしたが、すぐに優しい笑顔を取り戻し続けた。
「ホントにキレイなんだよ。…そっかぁ…でもウザイよね。ホントは、なんか予定とかあった?…家でやろうとしてたこととか…」
優しい声で言う彼に裕美はゆっくりと首を横にふり、かろうじて見える桜を見ながら、続けた。
「大丈夫。わりと好き、そういう拘り…私もそういうところあるから…。明日も休みだし、時間はたっぷりあるから。」
優しい声で答えた。
「そっかぁ、よかった。」
安心したように、彼も桜の方に向き直った。
「…そんなに拘りがある方ではないけど…」
少しの沈黙の後、彼が照れくさそうに呟いた。