忘れ者の森-5
「ねぇ今、幸せ?」
そう聞く少年の視線は薄汚れた床に落ち、小さな唇が微かに震えている。
そうだ。
不安な時に俯き、床に視線を落とす少年を僕は知っている。
太陽の光を受ける月に焦がれる少年を僕は覚えている。
苺みるくの飴玉に、懐かしの戦隊キャラクター、それらは昔僕が好きだったもの。
火傷の跡だって、未だ僕の腕に残る跡そのものだ。
この少年は僕だ。
今はもう十年以上顔を見ていない父親に、謂われのない暴力を振るわれながら、母親と二人隠れるように生活していた八歳の僕。
辛くて痛くて、母親は不遇を嘆き謝るけれど、決してその状況から僕を連れ立って逃げることはしなかった。
今でこそ、それは逃げる術を知らずにいた母親の、まるで底無し沼に嵌ったように依存から抜け出せない故に陥った状態なのだと分かる。
けれどそんな事は、当時の僕が知る由もない。
当時の僕の目に映るのは、夫と息子という錘をつけた天秤をいつまでもゆらゆらと定着させない母親でしかなかったんだ。
誰も守れない、守ってくれない僕。
―――だったらこんな僕、いらない。
だから僕は昔、幼い僕を置いてきぼりにしてしまった。
忘れてしまえば楽になれた。未だ腕に残る火傷の痛みも。殴られ蹴られた記憶も。酒を毎日煽り、薄暗く濁った眸で暴力を振るうあいつも。裏切られて傷ついた幼心も。
全て、すべて。
大人びた子供だ、とそれ以降の僕はよく評された。
当たり前だ、僕は置いていったんだから。誰かが助けてくれるという希望も、誰かと深く交わりたいという願いも、何もかも置いていった。
仮面の笑顔を貼り付けて、上辺だけの付き合いを繰り返して、傷つかないように生きてきた。
元々、そこそこに器用だったから、そんな僕は他人から見れば子供らしくなかっただろう。
けれど、僕はやっと幸せな日々を手に入れたんだ。
目の前の少年を見つめる。未来に一縷の望みも見出せず、不安に足首を掴まれ身動きが取れない幼い僕が酷く愛おしく思えた。
ようやく分かった。僕は幼い僕を迎えに来たんだ。
「幸せだよ。母さんもやっと精神的に立ち直ったんだ」
僕がゆっくりと噛み締めるように答えると、少年は弾けるように頭を上げた。
「僕は君を迎えに来たんだ」
僕の言葉に、少年の眸から大粒の涙がとめどなく溢れ出す。頬を伝う涙は、椅子に落ちては染みを作っていく。あっという間に広がったそれは、渇いた砂漠が潤っていくようで、少年の心情に似ているのかもしれない。
しゃくりあげながら、少年は口を開いた。