「鬼と姫君」終章-1
萩の花が風に揺れている晩秋―。
薄紅の空が広がっている。
朝夕は風が冷たくなり、ひたひたと冬の足音が近付いてきている。
姫は一房、鴇色の萩を手折り、閼伽棚に生けた。
あれから、六年もの歳月が流れた。
姫は、屋敷には一度も戻らず、この尼寺で静かに日々を過ごしていた。
小さな寺で、寝食を共にするのもごく少数の女性たちだけだったが、姫はこの慎ましやかな生活が心地よかった。
来訪者も殆どない寺で、一番若い姫がまるで世に倦み疲れ、隠棲した老人のような日々を送る様を、他の尼僧たちは笑ったが。
経を読み、草花や生き物を愛でる、この穏やかな日々の中で、老い、一日も早く仏のそばへ逝くことを願った。
凪のように静かな毎日。
心乱れることもなくなったが、ふとした時。
例えば、何気なく庭の木々を眺めているとき、文机で書きものをしているとき、かの人の姿や声が去来し、姫の胸を強かに打った。
月のように、冴え冴えと輝く髪。
不思議な色をした瞳は強く、しかし微笑むと眥が下がり、優しく変化した。
姫など軽々と抱え上げてしまうほど力強いのに、何故だかいつも儚さを纏わせていた。
美しくて、優しくて、大好きだった。
鬼灯丸―。
本当は鬼灯丸などおらず、全ては夢の中の物語ではなかったのだろうか―。
そう思うが、思い出は鮮明で、姫はどうしても忘れることができなかった。
思い返せば、たった数日間の出来事だったのだ。
皆、何故あれほどまでに、生き急いでいたのであろうか―。
伝え聞いた話では、右馬佐はとうとう見付からなかったという。
手下たちが、崖の下で右馬佐の衣服を発見したが、当人はどこにもおらず、服のそばには大きな蛇が紅い舌を出して這っていたという。
不思議な話もあったものだ―。
右馬佐の妻女は大層悲しみ、仏門に入ったという。
姫ももう一度、玖珂山を訪れようとしたが、何度試みても、辿り着くことは出来なかった。
鬼灯丸と過ごしたのは、ごくごく僅かな時間だった。
しかし、姫は一生分の恋を経験したように思った―。
姫は自室に戻ると、文机に向かった。