「鬼と姫君」3章B-3
「鬼灯丸!」
自分がここへ居れば、姫はずっと留まるだろう。
姫が一刻も早く京へ戻ることができるように―。
落下し、意識が遠のく中で、鬼灯丸は姫の無事を祈った。
姫は身動ぎ一つできなかった。
ただ瞳を大きく開けて呆然と立っている。
眼前で起きたことが受け入れ難く、瞬きの間の出来事に感情の整理が出来ずにいた。
垂直に流れる激しい水音で、鬼灯丸が落ちた音も聞こえなかった。
姫が滝壺を覗き込んでも、眼下は夥しい水飛沫で白く煙り、判然としない。
滝壺付近へ下りて、鬼灯丸の姿を探すが身体はおろか、衣の一つも見付けることは出来ない。
私が鬼灯丸のそばを離れないから、鬼灯丸は自ら身を投げたのだ。
追手から逃がすために―…。
そう考えると途端に感情の波が押し寄せ、姫は声を上げて泣いた。
「鬼灯丸、鬼灯丸―…」
姫は何度も気が触れたように叫んだが、聞こえてくるのは迸る水の落下音だけだった―。
暫く焦然とただ涙を溢し続けていた姫だったが、やがて鬼灯丸から預かった扇を握り締めると立ち上がった。
扇を返さなくては―。
姫は足を動かすことだけに専念した。
少しでも気を緩めれば、鬼灯丸のことが頭を掠め、そうなると一歩も動けなくなった。
瞳からは乾くのを忘れたように止めどなく滴が溢れた。
苦心して、川沿いを下ると鬼灯丸の言葉通りに麓の集落に行き着いた。
幸いにも、追手に遭うこともなかった。
村は貧しかったが人々は善良で、都の市に行くついでに姫を送ってくれると言う。