『落とし穴』-2
「ひょっとしてさ、奈良は私を慰めようとしてくれてるの?」
「当たり前じゃん。」
「変な慰め方だね。」
「うるせ。」
すると、砂山は少し笑った。ちょっとは立ち直ったのかな。それなら慰めた甲斐ってものがある。
「奈良は今好きな人とかいないの?慰めてくれたお礼に相談乗ったげてもいいよ。」
俺は少し考えた。
「いないなぁ。つーかさ、俺今までコイってやつをしたことが無いんよ。どんな感じ?好きな人がいるって。」
ブランコを止めて聞いた。「そうだねぇ、あんまりいいもんじゃないかも。楽しいことよりも、辛いことのほうが多いかな。好きになった人って、なかなか思い通りにならないものだから。」
「ならどうしてコイなんてするんだ?辛ければ止めりゃいいじゃん。」
俺がそう言うと、砂山はクスリと笑った。
「ホントに恋したことないんだね、奈良って。そうだね、やめられるならやめたかったな。」
今度は砂山がブランコを大きく漕ぎ始めた。
「私さ、恋って落とし穴みたいなもんだと思うんだ。」
「落とし穴?」
「そう、恋に『落ちる』っていうじゃない。自分の意思とは関係なく、不意に、突然落ちちゃったって感じ、私の場合。多分みんなそんな感じなんじゃないのかな。奈良はきっと運よく落とし穴に落ちずにここまで来たんだろうね。」
不意に落ちる落とし穴、か。石原もそれに落ちたのかな。だとしたらその落とし穴は誰かさんが意図的に掘ったものだろうか。
「脱出方法は?」
「知ってたら苦労しなかったわよ。」
それはそうだ。
「じゃあ砂山は、今もまだ落とし穴の中?」
その問いに、砂山はブランコを止めて首を横に振って答えた。
「無事、脱出したよ。奈良のおかげもあってね。今思うと、今回の落とし穴は意外と浅かったかも。」
そう言って笑った。でも多分後半は嘘だ。砂山の頬には涙の跡が薄く残っていた。その強がりは少しだけ俺の心を叩いた。
「じゃあもう一度落ちないようにしっかり埋めておかないとな。」
「他の落とし穴に落ちるっていう手もあるけどね。」「懲りないな。」
いつの間にか、公園をつつむ光の色は、すっかり夕暮れの色になっていた。
砂山はブランコから立ち上がった。合わせて俺も立ち上がる。
「それじゃ、ありがとね、奈良。」
笑って俺の肩をポンと叩いた。叩かれた場所が少しむず痒くなる。
「あぁ。ドーイタシマシテ。」
「じゃあね。また明日。」砂山は笑顔で手を振ってそう言った。
あ。
この瞬間かもしれない。俺が落とし穴に落ちてしまった瞬間…。
公園を出て、一人で歩き出した時には、もう自分が落とし穴の中にいるっていうのを実感していた。
だって、手を振ってまた明日と言った時の砂山といったら。涙の跡が薄く残った頬だとか、夕陽を反射して赤く光る真っ直ぐな髪だとか、バイバイと振られた手の小ささだとか、上目遣いの目だとか、無垢で弱そうな笑顔だとか。そういうのが、簡単に言えば、恋に落ちるのには十分過ぎるほど可愛く見えてしまった。
「まいったな。」
本当に突然落ちてしまった。…突然?いや、もしかしたら、違うかもしれない。寂しそうにブランコを漕ぐ砂山を見つけた時、既に落とし穴の予感はあったような気がする。「ありがとね」と肩を叩かれた時、既に片足を落とし穴の上に乗せていた気がする。それでも俺は落ちてしまった。俺がこの落とし穴に落ちることは、偶然じゃなくて、必然だったのかもしれない。落ちてしまったことが自分の意思によるものだったようにさえ思う。
まだよく分からないけど、この穴は結構深そうだ。でも、まぁいいか。落ちてみると意外と居心地がいいんだもんな、落とし穴の中も。どうせ脱出方法も分からないんだし、しばらく様子を見てみよう。焦ることも無いさ。それにしても、高二にして初恋か、いささか遅すぎるな。やっぱり俺はガキだったみたいだ。自嘲の笑いが込み上げた。
気まぐれで少し遠回りをしたばっかりに、俺は落とし穴に落ちてしまった。
おかげできっと明日からは景色が変わって見えるだろう。いつもとは違う帰り道を歩くみたいに。