「鬼と姫君」3章A-2
泣き疲れ、いつの間にか眠りに落ちていたようだ。
頬は涙の跡で荒れ、目も腫れぼったい。
それより何より、鬼灯丸との別れの日を迎えてしまったことが、姫の心を重くしていた。
いっそ目覚めず、鬼灯丸に抱かれ眠っていられたら―。
そう思わずにはいられない。
ふと、その鬼灯丸をみると、思いがけず緊張を帯びた表情とぶつかり、姫は驚いた。
そういえば、犬の鳴き声が聞こえたような気がしたが―…。
何かあったのだと悟る。
「どうやら、姫のお迎えがきたようだ」
岩屋の外に神経を集中させ、緊張したままの鬼灯丸が呟いた。
容易には辿りつけないこの場所に、これほどまでに早く誰かが来ることが解せなかった。
危険を感じた鬼灯丸は姫を抱え上げた。
「ともかく、ここから出ねば」
岩屋に出入口は一つしかない。
万一、踏み込まれたとしたら逃げ場はない―。
岩屋から素早く飛び出た人影を白い獣は見逃さなかった。
鬼灯丸は姫を抱えたまま、驚くほど早く駆けたが、犬は毛並みをなびかせ、負けじと後を追う。
右馬佐は呆然とその二つの影を目で追っていたが、やがて自らも、手にした矢をぎゅっとばかりに握り締め駆け出した。
二つの影はやがて平行に並び、次の瞬間、白い影が高く跳躍し、鬼灯丸の腕に牙を立てた。
獣の牙は鋭いのだろう。
直ぐに鬼灯丸の衣を朱に染め出したが、鬼灯丸は少し顔を歪めただけで、抱えた姫を下ろしもしなかった。
犬は執拗に鬼灯丸の腕に喰らい続けたが、鬼灯丸が大きく腕を払うと、やっと牙を放した。
そのまま鬼灯丸が駆け出そうとしたとき、繁みから俄に右馬佐が現れた。
「姫。お気が済まれたか。お迎えにあがりましたぞ」
それは確かに右馬佐だったが、数日の間に様変わりした姿に姫は背筋が寒くなった。
貴公子然とし、ふくふくとどこか育ちの良さを匂わせる穏やかな様相だったはずだ。
それが今目の前の右馬佐はどうだろう。
頬は痩け、眼下は落ち窪み、目の下には黒い隈を作り、瞳だけがギラギラと異様なほど耀いている。
まるで何かに憑かれているかのようだ―。