エンジェル・ダストLast-4
香港。
ホテルに到着したキャサリン・クーは、手配された部屋に入るとバスルームに向かった。
気温は20℃と暖かく、さらに香港特有の高湿度は、日本の真冬に慣れた身体にとって不快なモノだった。
シャワーのコックが開いた。緩やかにウェーブが掛った艶やかなブルネット髪、白く美しい肢体に細かな水が触れると、なまめかしいカーブを描いて流れ落ちる。
スポンジの泡を丹念に肌へ塗り込んでいく様は、──美の女神、アプロディーテーの誕生─のような高尚さを醸していた。
「ふう…」
シャワーを終え、クーはその磨かれた肌にバスローブを掛けて部屋に戻った。
窓際に置かれた藤のイスに腰掛けた。風がクーの身体を撫でる。湿った生暖かい空気だが、シャワーの後には心地よく感じていた。
身体の火照りが収まったクー。服に着替えようとイスを立ち上がると、ベッドサイドの電話が鳴った。
──来たわね。
いよいよ始まる最後の仕事に、気持ちが昂ぶる。
──大丈夫。これを無事こなして、私は本国に戻るッ。
クーは自分にそう云い聞かせると受話器を取った。
「はい?」
「蘭英美さんか?」
受話器から聞こえたのは、男の弾んだ声だった。
「そうですが、あなたは?」
「李氏の友人で周強民と云います。彼とはガキの頃からの付き合いです」
クーは考えた。
彼女はここ2年、李の右腕として中国々内の主要都市はおろか、中東、アフリカ、ロシア、アメリカと世界中を飛び回った。
しかし、そこで出会った人物に周という名は無かった。
──それが、昔からの友人だなんて…。
一瞬、台湾情報部の名前が浮かんだが、彼女はそれをすぐに打ち消す。
中国と台湾は、友好関係を築こうとしている。そんな中、自分に手を出せば中国は烈火の如く怒りを露にし、香港に潜んでいる台湾人スパイを根絶やしにするだろう。
そうなればお互い、いがみ合っていた10年前に逆戻りだ。
クーは気を取り直して受話器に向かった。
「ところで周さん。あなたも大班と同じ出身なのですか?」
周のチェックを試みる。
だが、彼はまるで予期していたように喋りだした。
「ええ、陜西省、延安から100キロほど郊外の町です。
あなたは知らんかもしれんが、その昔、毛沢東──マオ・ズードン─が挙兵した場所です。
李は幼い頃から身体も大きく福々しい顔でね、仲間からマオ、マオと呼ばれてました」
流れるような周のフルストーリーは、クーの知らぬことまで語った。
──どうやらナーバス過ぎたようね。
「それで、どちらに向かえばよろしいんです?」
改めて周の指示を仰いだ。すると、意外な答えが返ってきた。
「1時間後に地下のレストランに来て下さい」
クーは少なからず驚いた。ホテルの中にはたくさんの仲間が張っている。
そんな場所でデータを渡せば、敵のエージェントに面が割れてしまう。
だが、周の方は気にした様子も無い。