魔性の仔C-1
国立〇〇大学付属病院。脳神経外科。
刈谷と中尊寺は、夫婦のように検査室前に設けられた待合室のベンチに座り、焦燥の顔を浮かべていた。
MRIによる脳底検査や、CTでの画像診断、脳波診断や問診など、朝から始まった真弥の検査は未だ続いていた。
「長いな…」
刈谷は腕時計に目をやった。時刻は既に午後3時を過ぎている。
「先生、何か飲み物を買って来ましょう」
刈谷が席を立とうとしたその時、検査室の扉が勢いよく開いて中から真弥が飛び出してきた。
「真弥ちゃんッ」
駆け寄る中尊寺。
真弥は怯えた表情で廊下を見回し中尊寺を見つけると、駆け寄ってしがみ付いた。
「…そんなに掴まないで。い、痛いわ、真弥ちゃん」
初めて受けた検査の数々。稀有の体験は彼女にとって辛いモノだったようだ。
刈谷が那国村を訪れた翌日。編集長の大崎に──先生が頭が割れるように痛いと仰っている─と、偽りの連絡を行って紹介してもらったのがこの大学病院だ。
普通なら、とっくに戻ってもおかしくない真弥の記憶が、今だ戻らないことを懸念する刈谷が取った措置だ。
真弥の記憶に関連する──脳の働き─をチェックして、どのような対応をすべきか知りたかった。
しかし、1時間後に担当医から聞かされた内容は意外なモノだった。
──特に異常はみられません。
聞いた刈谷は耳を疑った。
「しかし先生ッ。言葉を喋れないとか、ちょっと前の記憶が無いといった症状は、逆行性健忘の典型でしょう?」
「まあ、落ち着いて下さい。確かに、仰られた内容は逆行性健忘の症状です。
ですが、この子に仰られた症状があるからといって、逆行性健忘だと断定は出来ません」
刈谷には担当医の云っている意味が理解出来ない。
そんな状況を悟った担当医。再びカルテに目を通し、落ち着いた口調で諭すように話掛けた。
「あくまで仮定ですが、この子はもっと以前、ひょっとしたら生まれながらにこうなのかもしれません。
言葉が喋れない。記憶力はあるが、時折、欠落してしまう。
これは、昨日、今日発症したのでなく、ずっと以前なのかも知れない」
「そんなバカなッ!」
「ですから、あくまで仮定の話です。しかし、脳科学自体、歴史の浅いモノなのです。ひょっとしたら、我々の知り得ない症状なのかも知れません」
ごまかされたような診断内容。しかし刈谷は、結果を真摯に受け取めると医師に尋ねた。
「では先生、今後はどうしたら?」
「とりあえず、様子をみましょう。1週間後にまた来て下さい」
検査を終え、3人は病院の駐車場に停めたクルマに乗り込んだ。
刈谷も中尊寺も、互いに言葉を交さない。期待していたことが徒労に終わりショックなのだ。