「鬼と姫君」2章D-1
その夜、案の定姫は熱を出した。
水浴びのせいもあるが、慣れない環境で疲れも出たのであろう。
身体は寒そうに震えているのに、額は焼けるように熱い。
鬼灯丸は岩屋にある、ありったけの衣で姫を包み、それでも足りないと感じて、最後には自分の懐へ抱え込んだ。
真っ白な頬を赤く上気させて、小さく喘ぐ姫に水を何度も含ませる。
火照った額を冷たく濡らした布で拭ってやるが、直ぐに温くなってしまう。
鬼灯丸は姫がこのまま、儚くなるのではないかと思うと恐ろしかった。
人とは何と弱い生き物なのだろう。
住み慣れた場所を離れただけで、病に倒れてしまう。
住む世界の違いに改めて気付き、愕然とした。
やはり、姫はここにいるべきではないのだ―。
魚が陸では生き延びられないように。
苦し気に呼吸をする姫に、今度は口移しで水を与えると、鬼灯丸は薬草を探しに表へ出ようとした。
しかし、立ち上がろうとした鬼灯丸の衣を姫がしっかり掴んで放さない。
鬼灯丸が掴んだ姫の手を放そうとすると、思いがけず、姫がぱっちりと目を開いた。
熱でうるんだ瞳でひたと鬼灯丸を見つめる。
(行かないで―…)
声が掠れて、囁きはあまりに小さく、鬼灯丸は姫の唇の動きで言わんとすることを悟った。
姫は心細かった―。
どこともしれない、森の中で、確かなものは側にいる美しい異形のものだけだった。
行かないで―。
どこへも。
あの幼いときのように、突然。
まるで、なかったように、幻のように、消えてしまわないで。
叶うのなら、ずっと側に。
鬼灯丸は再び腰を下ろすと、姫を掻き抱いた。
鬼灯丸は温かく、姫の頬が押し付けられた鬼灯丸の胸からは規則正しく、力強い音が聞こえてくる。
鬼灯丸の心音を聞いて安心したのか、姫はまたゆっくりと瞼を閉じた。
夜明けは確実に、誰にでも平等に訪れる。
まんじりもせず、朝を迎えた鬼灯丸はほっと息をついた。
胸の中にいる姫君は随分と熱が引き、呼吸も穏やかだ。
鬼灯丸はもう一度だけ、姫をきつく抱き締めた。
そして、眠ったままの姫をそっと毛皮の敷物の上に横たえると自分は、果物を探しに外へ出た。
今日も森は穏やかで、さわさわと風に木々の揺れる音が聞こえる他は、濃密な生命の気配を含みながら沈黙していた。
大内裏の朱雀門を通った右側、中務省の隣の棟に目指す陰陽寮はある。
右馬佐の勤める右馬寮とは、朱雀門を挟んで反対に位置する。