「鬼と姫君」2章D-3
なぜだ。
なぜ分からぬのであろうか。
人を喰らうかもしれない鬼に、妻となる姫君が拐われたと言うのに。
人間を連れ去った時点で既に実害は出ている。
討伐せねば。
悪しき者たちは全て駆逐せねばなるまい。
怒りと恨み、嫉妬に燃え立つ右馬佐の顔は、まさに鬼の形相を表していた。
「もし」
突然、闇の中から声がかかった。
右馬佐は立ち止まって声のした方へ視線を巡らすが、昼間だというのに濃い闇が立ち込めているようで、先がよく見えない。
「もし」
呼びかけとともに白い手がすっと延びてきて、手招きする。
右馬佐は訝しく思いながらも、闇の中へ身を投じると、そこには男が座していた。
出仕しているというのに、立ち烏帽子に狩衣姿で、肌の色が抜けるように白い。
年頃はようと知れない。
「右馬佐殿。何かお困りの様子」
言葉を紡ぐ唇は真っ赤でそれが右馬佐には蛇の舌を連想させた。
はて。
名乗った覚えはないのだが…と困惑すると、男は察したように、先ほど案内した稚児が自分の従者であることを告げた。
「その様子では、陰陽頭はお力になれなかったようですね。どうでしょう。若輩者ですが、私も陰陽寮に出仕する身。なんぞお役に立てるやもしれませぬ」
右馬佐は思案した後に、これまでの経緯を伝えた。
男は静かに耳を傾けていたが、やがて聞き終わると、ため息をつき、呆れたように首を振った。
「そのような大事に素知らぬ顔をするなど、陰陽頭は何を考えているのでしょう。私は右馬佐殿の考えに賛成です。禍は取り除かねば」
陰陽頭の言葉にくさくさしていた右馬佐は、突然現れた賛同者に浮き足立った。
「しかし、姫を救うにも居場所がようと知れませぬ」
「姫君がお持ちだったものなどがありませぬか。それから居場所を突き止めることができるやもしれませぬ」
その言葉に活路を見い出した右馬佐は、早速大納言の屋敷に取って返し、姫があの夜脱ぎ捨てた衣を持って男に渡した。
男は暫く衣を手に、口の中で低く祝詞を上げる。
暗がりでみる男の瞳は、茶を通りこし、金色にらんらんと怪しく耀いてみえる。
右馬佐はやはり蛇のようだと、微かに悪寒を感じる。
陰陽師が祝詞を上げ終わると、今度は紙に何やらさらさらと認め、ふっと息を吹き掛ける。
すると瞬く間に紙は蝶となり、男の周りを舞い始めた。
蝶は暫く姫の衣に止まっていたが、やがて外へと舞飛んでいった。
「さて、これで暫くの後に居場所が分かりましょう」
男はそう言って目を細め、唇を吊り上げた。
右馬佐は、まるで幻をみているようだった。
現と夢の境があやふやになり、ぼんやりと頭に霞がかかる。
「居場所はこれで知れるでしょう。さあ、貴方は上訴して兵を差し向ける準備を調えなさいませ」
右馬佐の耳に、男の声が遠くから聞こえた。