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鵜坂神社の奇祭
【フェチ/マニア 官能小説】

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鵜坂神社の奇祭-2

「越中の卯阪の祭待ちかねつ、つれなき尻の杖のあと見ん」(天保2年「狂歌日本風土記」)
 また、弘化4年版の禄亭川柳の「列女百人一首」には、葛飾北斎の挿画を添えて、
「越中婦負郡卯阪明神の祭には、禰宜神主立ち合い、さか木の杖を以て淫行にたわむれし女の尻をまくりて、男にあえる数ほど打ちたたくなり。近郷こぞりて之を笑う。若しかかる事を恥ずかしと思い隠す女あれば、忽ち神罰を蒙り、身を失うことあり。之を尻打祭という」
 とある。
 この後、香崖は「粥杖」について述べている。正月十五日、粥を炊いた木を削って杖としたもので、それで子のない女の尻を打つと男児を産むと信じられていたらしい。起源は平安朝と香崖は述べる。前段で触れた安産祈願の尻叩きが古来より行われていたことを裏付けるが、香崖によると「粥杖」は男根の象徴である。東北地方の「ホイタケ棒」、伊勢神宮の「嫁たたき」など、粥杖あるいは棒を用いて女性の尻を打ち、男児を産ませようとの風習が広く流布していた。そして鵜坂の尻打祭は、生殖器崇拝の風習から最も逸脱した、根本の目的を亡失した変型異態の性的祭事である、こう香崖は結論づけている。

 この「粥杖」については、秋田昌美もその著「アナル・バロック」の中で述べている。太古日本の尻叩きは、新妻を対象に行われてきた。やはり妊娠祈願だそうである。「粥杖」による女性の尻打ちの儀式は、「枕草子」にも描写されているという。尻叩祭はやはり日本全国に広く行き渡った風習であり、その儀式に使われる尻叩き棒も、地方地方でさまざまなものが伝えられていると述べている。
 富士宮市の賽神祭で使われる「ダイノコ」、愛知県東賀茂郡の足助神社南隣の八幡宮では「尻打ち棒」と呼ばれ、男根形をしていたそうだ。また、愛知県愛知郡岩塚の七所社の杵コサ祭という祭りでは、袋状のものを用いて女の尻を叩いたという。ちょうどスパンキング愛好家手製のスパンキング用具がさまざまあるように、地方地方でさまざまな尻叩き棒が伝えられているのだそうだ。

 では生殖器崇拝からの逸脱はどのように、いつの時代に起こったのか? やはり「アナル・バロック」を見てみる。鎌倉時代に順徳天皇が書いた「八雲御抄」ではこの尻打祭に触れ、神主が女の尻を榊棒で叩くのは妊娠祈願のためではなく、女の交わった男の数だけ叩いて女の淫楽を懲らしめるためという倫理的解釈がなされているそうだ。とすると、鎌倉初期にはもう女性にとって怖い祭りに変質していたことになる。この懲罰的傾向が増幅されて、江戸中期以降の「和訓栞」や狂歌に受け継がれていくのである。


「男の人って、昔からエッチだったんですね」
「ちょっと驚きだろ、女性の尻を叩く道具がこんなに日本各地にいろいろ伝わってるなんて」
 私は先生から20種ほどの尻叩きグッズの写真を見せてもらった。太いの、細いの、取っ手が付いたの、藁で棒を包んだのと様々だ。
「いい勉強になりました。先生だからって、これからは油断してお尻を向けないように気をつけます!」

参考文献 田中香崖「変態性欲」第五巻九月号第三号 日本精神医学会
     秋田昌美「アナル・バロック」 青弓社


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