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Delete <彼の左腕は堕胎によって失われる>
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「無意識的に、あなたはここへ来ることを望んでいました。いいや、あるいはそれを望んでいたのは私のほうだったのかもしれない。おそらく」男は人差し指を一本立て、どこでもない空間に視線を漂わせたまま「お互いに出会うことを望んでいたのかもしれない」と言う。

 僕はこの男は身なりは良いが、若干イカれてんのかもしれねー。こんな場所からはとっととバックれたほうが良いような気がする。とかなんとか考えてみるが、男が「何かお飲みになりますか?」なんて聞くものだから、じゃあ「お水をいただけますか?」などと僕は言っている。

微笑を浮かべて男がキッチンの奥へ消えてしまうと、僕は特に何もするべきことがなかったので、ぼんやりと水槽の中のエンゼルフィッシュを見てすごした。

 やがて、キッチンの方から氷を割る音が聞こえてくる。



 ガツン・カラン、ガツン、カラン・・・。



製氷機がないのだろうか。それにしても、自宅で氷を割るなんて、あの男はよほど氷にこだわりがあるのだろうなと僕は思う。古い日本映画で出てくるような、かき氷機にセットする時の分厚い氷を思い浮かべる。

と、ふいにキッチンではない他のどこからか氷を割る音が聞こえてきた。それで、僕は少し混乱して、落ち着き無く部屋の中を歩き回った。宇宙の果てには氷を割る音が聞こえるのか? それとも近くには住人が居て、皆が唐突に同じタイミングで氷を割り始めたとでもいうのか? などと意味の無い空想をしながら部屋の中を右往左往する。右往左往している様子をあの男に見られたくなかったから、チラチラとキッチンの方を伺い、なるべく音を立てないように部屋の中を徘徊する。やがて、その音は部屋の四方の天井に備え付けられた(これもまた、真っ白な)スピーカーから聞こえてくることが分かった。

 なんでスピーカから氷の割る音・・・? 僕は首をひねる。



 ガツン・カラン、ガツン・カラン。



 僕はその音を聞きながら、ラジカセの録音ボタンを押しその前で優雅に氷を割る男の姿を想像した。男はわざわざ氷を割る様子をテープに録音しているのだ。何かのために。僕のポケットの中に、未だに白黒の光沢のある薄い紙でできた写真が入っているのと同じだ。僕の想像の中で男は優雅にアイス・ピックをふるい、規則正しいリズムで芸術的に氷を割る。その様は、その男に非常に良く似合っていた。

そこから僕が連想したのは、セックスだった。どうして氷を割る映像がセックスと結びついたのかどうか、僕自身よく分からない。

 彼の恋人はきっと二十四歳くらいの、笑顔の素敵な清楚な女性。彼女は特にセックスが好きというほどでもなかったが、勿論嫌いでもなかった。何人かの男と、愛を分かち合うためか、あるいは孤独を埋めるために、彼女はセックスをしてきた。だが、彼との出会いによって、彼女の中でのセックスの価値観が変わる。彼の優雅な手つきと、その上手さ、それらが彼女に獣としての本能を呼び起こさせる。彼女はただの快楽としてセックスを求めるようになる。キスではなく、愛ではなく、心ではなく。ただの行為としての、否。「ただの」ではない。とびきり極上な行為として。


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