堕胎-1
"ソレ"には気が付いた時には、意識が存在していた。
液体に包まれる感覚。
周りを包み込むように動く液体の感触だけが自己の範囲を感じさせていた。
何故、意識が在るのか。
何故、肉体が在るのか。
理由は判らない。
そもそも、意識や肉体なんてモノが本当に在るのかどうかさえ疑わしい。
心や魂と呼ばれるモノはそれ以上に存在の疑わしいものだ。
もっとも、そんな事は"ソレ"や普通の人には関係が無い事だ。
「…ボソ…No.771……」
周りを流動する液体の流れとは別の、本当に小さい振動(こえ)が耳に引っかかって、注意をそちらに向ける。
完成されていない視覚からうっすらぼんやりと覗いけたのは、ガラスのさらに向こう側に居る白衣に身を身に着けた数人の男女。
名前は無く、白衣達からは単純に番号で"No.771"とだけ呼ばれる"ソレ"。
ガラス槽の内にある"ソレ"は、肉体的特徴は動物界 脊索動物門 脊椎動物亜門 霊長目……
つまり、人間によって造られたヒトによく似たモノだった。
"ソレ"の知らぬ間に体組成を設計され、ある目的を持って組み立てられた"ソレ"。
「…"No.771"では要求される特性を満たす事は期待出来ない」
何を話しているのだろう?と、"ソレ"は会話の内容は理解出来ないが興味をそそられた。
「はい。新理論を採用したNo.772,773の二つに力を注ぐべきだと思います」
論理優先の…いや、論理しか内包しない無機質な返答。
白衣達が話している内容も、自分が置かれた状況も"ソレ"には判らない。
それでも、全身から本能的に警告が鳴り響く。
"命"の危険だと…
それでも、未成熟な肉体は自由に指一つ動かす事は出来なかった。
そもそも自分がどうしたいのかすら解ってはいないだろう。
何度かの討議で結果はすぐに出た。
「ならば、"No.771"はこれ以上の維持も必要ない」
最初の声ー低く嗄れた男の声が、"No.771"と呼ばれた"ソレ"の廃棄を告げる。
造物主たる白衣達は当然の権利のように廃棄を決定した。
分子生物学にある教義(ドグマ)には、魂や命や博愛の概念なんてものは無い。
不必要と断じられ、廃棄されるタンパク質。
肉体の構成のよく似た"ソレ"も、人の法の殺人罪の客格になることは無く。
法からも誰からも守られることも、創造した者が裁かれる事もないという現実だけがあった。
「恨めしくコッチを見てないか?」
比較的若い若い白衣が気が付く。
それでも、
「22週程度の胎児にも満たない脳が状況をわかるわけないだろう」
今の段階で人格など持てるはずが無いと、
そう言って、初老の男は赤地に黒く"廃棄"と書いてあるボタンに手を添える。
付け加えるなら"ソレ"に意識が在ろうが何が在ろうが廃棄は決定された以上は関係がない。
そして、何の躊躇いも無くそのボタンを押した。
人工の臍帯から、酸素の供給が途絶える。
当然、脳への供給も止まり5分と経たない内に"ソレ"の意識はこの世から消え失せた。
これは綺麗で清潔に保たれた白い部屋で、毎日のように行われている処理の1つに過ぎなかった。
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