黄昏の約束-3
「も、もしもし?」
『あ、出かけてた? 今どこいる?』
ずーっとずーっと聞きたかった声。
あたしの周りがざわついているように、しんちゃんの声にも人ごみの音が混ざっている。
「あ、えーとO駅近くでぷらぷらしてた」
『僕も近くにいるから、いつものカフェ来れそう?』
「大丈夫。十分後くらいには着くよ」
『急でごめんね、じゃまた後で』
たった一分ほどの簡素なやりとりに、胸の奥が熱い。
大きな期待と不安。
予定より少し早く待ち合わせ場所について、そわそわと前髪を整える。これで何度目だろう。
目の前の人の流れも気になってしょうがない。
(あ、きた)
髪が少し短くなってはいるけれど、一直線にこっちに向かってくるあのシルエットを見間違えるはずがない。
「ごめ、遅れた!」
「だいじょーぶ、そんなに待ってないから」
早く会いたかったからってはにかんだ顔を見てしまったから、文句もでないよ。
「とりあえず、中入って座ろうか」
あたしはブレンド、しんちゃんはアイスティーを頼む。
「スタジオ行ってたの?」
「うん、毎日夜中まで」
だからなかなか連絡できなかった、と謝るしんちゃんになんて返そう。
忙しいんだねともなんだか嫌味に聞こえてしまいそうで、素っ気ない
返事しかでてこない。
「異動の話、もう決まった?」
「そろそろ、返事しないとまずいかな…」
「そっか」
気持ちとしては残りたいけど、現実的に考えると悪い話ではないと、
ぽつりぽつり考えていた内容を伝えてみる。
「…そっかぁ。えーっと…僕も、再来月には東京行く予定なんだ」
「う、ん」
「結成からずっと、いつかはって話しててさ」
あたしの話を黙って静かに聞いた後、しんちゃんは視線を落として真剣な顔で淡々と話しはじめた。
聞きたかったのに、聞いてしまうのが怖くて、やけに喉が渇く。
「やっと巡ってきたチャンスだから。どうしても、行きたい」
「…うん」
「勝手に決めて、ごめん」
そういってようやく視線をあわせてくれたしんちゃんは、今まで見たこともないような真剣な表情。
男の人の、表情(かお)だと思った。
「向こうに行った後のことは、まだ何もわからないから…。いつ帰ってくるとか、生活のこととか――」
聞きたいことはたくさんあったはずなのに、今は言いたいことが見つからない。
「すごく悩んだ。最初に聞いたときは、嬉しかったけど素直に喜べなかった。考えて、決めたつもりだけど…まだ自信ない」
それでも伝えたいことは決めてきたと、凛とした表情を崩して困ったような笑顔を浮かべるしんちゃん。
「混んできたし、場所かえよ?」
やっと言えたのは、からからの喉から搾り出した本当にどうでもいい一言。
すぐに結論を聞きたくなくて、カップが空になったのを理由に、答えを先延ばしにすることしか頭に浮かんでこなかった。
ずるいな、あたし。
外に出ると思いのほか風が強かった。
繋いだ手は、不自然に強い力で握り締められている。
夕暮れ時の公園を無言で歩くあたしたちは、すれ違うカップルとは存在そのものが違う気がした。
「ちょっと座ろうか」
切なそうな顔で笑ってから、空いたベンチに座るようにくっと手を引かれ誘導される。
腰を下ろすとひんやりと冷たくて一瞬腰を浮かせたら、隣に座ってたしんちゃんが気づいて、ほんの少しの隙間を埋めるように座りなおした。
「片道二時間って、遠いなー」
「そうだね…」
くっつけた肩の動きで上を向いたのがわかったから、あたしもならって空を仰ぐ。
「あのさ、一個だけわがまま言っていい?」
「うん?」
視線は遠くに留めたまま、冷たくなった左手がしんちゃんのポケットに招かれる。
相変わらず、視線は遠いままだけど。
何度か咳払いした後、ぎゅうと手を握られた。